ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年11月3日土曜日

Actually the World isn't Flat

【気になるあのビデオ、このビデオ】
世界はまだまだグローバルじゃない

ビデオの紹介
タイトル:Pankaj Ghemawat: Actually, the world isn't flat
出典:TED (Filmed in June, 2012)
原文:英語


(あくまでもこの記事だけを読んでも理解できるよう、内容を簡単にまとめ編集してある点、ご了承ください。一語一句正確に知りたい方は是非原文にチャレンジしてください!)


『国境を超えたインテグレーションはほぼ完了したと言えるレベルに到達しており、私たちはひとつの世界に住んでいる。』このような考えは、プロ・グローバライザー(訳注:例えばコラムニストのトム・フリードマンなど、グローバル化推進を唱える人や団体)、そしてアンチ・グローバライザー(訳注:グローバル化に反対する人や団体)両方が受け入れている見解だ。

しかし、実際どれぐらいグローバルな世界に我々は生きているのだろうか?関連データを集めて実証することが現状理解に近道だと私は考えた。しかし、国際電話の利用は音声通話全体の2パーセント、世界の人口における移民第一世代は3%、海外からの直接投資も投資全体の10%にも満たず、GDPを占める輸出の割合も20%程度なのだ。

現状は世界はすでにひとつとなっていると言うにはほど遠い状況であるにも関わらず、一方で、世界各地でアンケート調査を実施しても、3倍も4倍も誇張されて『グローバル化』が認識されている。

なぜそのようなことになるのだろうか?

1点目にデータの欠如が挙げられる。数年前、私が初めてこれらのデータを論文("Why the World Isn't Flat")で発表した際、(グローバル化を提唱する)トム・フリードマンは私のデータ収集の狭さを指摘した。しかし、驚くことに、彼の700ページにも渡る著書("The World is Flat")にはひとつもデータが提示されていない。データがないままグローバル化という言葉だけが先走りしているのだ。

2点目に、ピアプレッシャーが挙げられる。"Why the World Isn't Flat"という論文を発表したきっかけは、インド・ムンバイでのテレビインタビュー。その際、インタビュアーに『教授はなぜ今でも世界は(フラットではなく)丸いと考えているのですか?』と、まず最初に聞かれた。あたかも『なんてかわいそうな教授だ、ずっと部屋に閉じこもっていたから現実を知らないのだ』、という同情を向けられたかのようだった。そこで、『これではまずい、この考えについてきちんと説明をする必要があるな』、と考え、この論文をまとめたというわけだ。世界はフラットではない、と言えば疑いの眼を向けられる一方で、『世界はひとつ』、と言うと周囲から同意を受け入れられる、これも現実だ。

3点目に、テクノロジーの進歩が誇張されすぎている点。例えば、Facebookを利用すれば、確かに世界の裏側の人とも簡単に友達になれる。が、実際に他国の友達が占める割合は10~15%程度だ。自国のみで生きているとは言えないが、まだまだグローバルとは言いがたい。テクノロジーは既存の人間関係に重なる形で利用されているのみなのだ。

グローバル化はまだまだこれからであるというのに、すでに世界はひとつだ、と主張するようでは、今後の更なるグローバル化の試みを停滞させてしまうことになりかねない。実際はどの程度グローバル化が進んでいないか、現状を正確に理解することで、世界レベルの公利への貢献に今後どのような取り組みが可能かを把握することができるはずだ。

また、過度の誇張を是正することは、グローバル化に対する危惧を軽減することにもつながる。例えば、フランスでは移民規制の是非について議論があるが、フランスでの移民の割合はおよそ24%ということになっている。それは本当だろうか。実際は8%程度だと理解すれば、過激なレトリックも通用せず、議論の方向性も代わるのではないか。米国では、Chicago Council on Foreign Relationは国際援助に関する国民の認識についてアンケート調査を実施したが、結果は連邦予算の30%程度が国際援助に割かれていると国民は認識しているという。だが、実際は1%程度だという。認識と現実には大きな隔たりがあるのだ。

OECD加盟国による国内貧困層へのサポートと、海外の貧困層へのサポートの比率は3万対1の割合という。もちろん、われわれが本当にグローバルでコスモポリタンであるとしたら、この比率は1対1であるべきだ。ただ、もしこの現状が改善され、この比率が1万5000対1のレベルになっただけでも20年前のリオサミットレベルに到達したレベルであるのみだ。どれだけ我々はまだ外に閉じているかを理解すれば、更なるオープン化による改善がどれほど期待できるか見えてくるだろう。

---------------------------------------------------------------------------- 

【ここからがA+Sのコメント!】 

ネタ探しに久々にTEDのビデオを見ていた。ポータルでは毎日のように新しいビデオがアップロードされているのでいつ訪れても学びがある。最近では翻訳プロジェクトも行われており、時々日本語のスクリプトがあるビデオもある。隙間時間活用向けとしては最高のポータルだ。

今回紹介したビデオで、スペインのトップビジネススクール、IESE Business School(イエセ)の教授、Pankaj Ghemawat氏は、グローバリゼーションの程度は誇張されすぎているという見解を共有。もう少し現状を正しく受け止め、まだまだグローバル化の加速の可能性があることを認識することが重要なのではないか、という。同氏の著書、『World 3.0』も面白そうだ。

確かにGhemawat氏が言うようにグローバリゼーションは誇張されていると個人的には強く同感する。現時点では国や会社レベルで自国と『外国』がどう付き合っていくか、という切り口が中心で、人やモノが世界を駆け巡る時代、というにはまだまだだ。ただ、同時に、このハイパー・グローバルな数パーセントがグローバライザー(グローバル化推進)として持ちうる影響力は計り知れない。数パーセントの動きが、周囲に対し実際よりも3~4倍のグローバル化レベルを感じさせるとするならば、なんてパワフルなんだ、と思うわけだ。そういう意味で、現状は正しく理解しながらも、グローバライザーの動きも注目に値すると個人的には考えている。

---------------------------------------------------------------------------------------------
※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。

2012年10月2日火曜日

文化は心に根付くものーMondovinoを観て

シンガポールでは映画館で放映される映画の種類が1パターンで、ハリウッドのブロックバスターが中心。中国、韓国、日本などの映画も選択的に放映されたりするが、ロンドンのICA(Institute of Contemporary Art)の映画館に匹敵するような、いわゆるアート系の人が行くようなちょっと変わった映画館をまだ見つけられていない。(ないのかもしれないと多少絶望的になってきている。)

そういうわけで、時々(仕方ないからというと失礼だが)フランス映画を見にフランス文化会館、アリアンス・フランセーズに行くのだが、先日、同会館のワインイベントの一貫として、無料で「MONDOVINO」というドキュメンタリーが放映されたので行ってみた。

このドキュメンタリー自体は新しいものではなく、2004年にリリースされたもの。自身ソムリエであるJonathan Nossiter4年間かけて40万ドルで制作したらしい。父親がワシントンポスト、ニューヨークタイムズの特派員であったため、彼自身はフランス、イギリス、ギリシャ、インドで育ったという、まさにグローバル人材だ。ハンディカムで撮られた映像であるため、ブレがすごくて多少みづらいものの、カンヌのパルムドールに選ばれたこともあり一時評判になった。が、これまで見に行くチャンスがなく、なんとまあ、8年後にまさかのシンガポールでの観賞となった。

グローバルに、資本主義的に、大きくワイン事業を展開するワインコンサルタントのMichel Rolland(フランス人)、そしてカリフォルニアワインのドン、Robert  Mondavi(アメリカ人)、そしてかの有名なワイン批評家Robert Parker(アメリカ人)。ワインの世界におけるグローバリゼーションの波と、効率化への賛同派、反対派の様子が描かれている。(もっとも、反対派をサポートするバイアスがかかっている内容だが。)

会社で働いた経験を持っていると、この資本主義的発想に当然ながら合意する点も多い。いい商品を作り、多くの人に楽しんでもらう。それにより売上も増加し、より良いものがどんどん作れる。自社商品を世界に流通できる。このグローバル化の流れは止められない。だったら抵抗なんかするよりも、うまく付き合うしかない。

一方で、このワインという心にしみた文化の哲学を語る「抵抗勢力」のワイン農家の言葉はひとつひとつ重い。敏腕マーケターのめまぐるしい展開に、『そんなのはワインじゃない』とばかりに抵抗する。とはいっても、完全に対立しているわけではなく、改善の必要性は感じている。『でも何だろう、この心に強く感じる抵抗感は』という苛立ちを彼らは感じているのだ。

ここで少し話は飛ぶが、たまたまタイミングよく、『平成進化論』の鮒谷さんの日刊メルマガ(101日付『人間国宝になりたい!』)に、このような言葉があった。(抜粋ではなく内容の一部をこちらでまとめた。)

商品への注力と商品デザインの注力バランスが100だと、腕は人間国宝級、作る商品は天下の逸品、けれども売り込むことは全くできない。

商品への注力と商品デザインの注力バランスが010だと、敏腕マーケター、でも一歩間違うと悪徳詐欺師。

「売る」のではなく、「売れていく」にはどうしたらいいのか。

(余談だが、ちなみに、この記事はご自身の「カリスマ性のなさ」(派手な演出のなさ)についてセミナー参加者にコメントされたということについて書かれたものという。私も一度ロンドンでセミナーに参加して、ちょっとだけ直接お話させてもらったが、本当に変な派手さがない、とても謙虚で、しかし人間的に魅力のある知的な方だった。ちなみに、ご自身は「商品95:デザイン5の人間国宝的な生き方」を目指したいとされている。)

ビジネスをしていると、売上、収益性、などと言った形で勝敗が見える。だから伝統だけに固執することは難しい。ただ伝統を重んじる国や文化で育ったものには資本主義的論理一本やりが果てしなく軽く感じられる。しかしこれまでの「売れていく」への努力が「売る」力に負けそうになっている

のだろうか。

短期的に見るとそうかもしれない。ただ、長く栄えるためには、「売れていく」要素、つまり商品への注力が必要だ。キャピタリズムギラギラのワイン農家側にとっては、フランスの老舗と対抗していくために、当然ながら今は商品デザインで画期性を持たせる必要がある。だから最初はそこへフォーカスするのは当たり前だ。

ただ長期的には、商品への注力と商品デザインの注力バランスの舵取りをうまくやったものが生き延びるのだと思う。だから、いつの日か、彼ら(の子孫)がフランスのワイン農家と同じようなことを語る日が来るのではないか。文化はそうやって育って根付いていくものだと思う。

この映画を見たあと、漠然と「何か書きたいなあ」と思った。でもタイトルはどうしようかな、と。「ワインのグローバル化」という直球にすべきか、あれこれ考えたが、多少飛躍するものの「文化は心に根付くもの」とした。ワインのグローバリゼーションに対し、どちらのポジションを取るにしても、このフランス人、イタリア人のおじいさんたち(おばあさんたちがあまり出演してなかっただけです)の人生哲学・ワイン美学には心を動かされるに違いない。特にワイン好きの人には美味しいドキュメンタリーだと思う。



-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

【参考記事】
Mondovino (IMDb)

平成進化論(該当記事はまだバックナンバーにアップされていませんでしたが、平成24101  平成進化論 3305号「人間国宝になりたい!」です!)


---------------------------------------------------------------------------------------------
※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。