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2013年10月24日木曜日

【個として飛び出すグローバル】『グローバルに活躍できる子供を育てるには?』という質問について考えてみる②

(前回につづく…)


少し話を戻して、グローバルに活躍するためには、大人になったときにどれだけ思考回路や文化的価値観を理解し、違いを見抜けるか、ということなのではないかと思う。ただ理解したり見抜けるだけでも多分60〜70点で、そこで共存していくには、共通項を見出だしていけるか、という事になるのだと思う。

『じゃあ親としてどうすればいいのか?』と聞かれる。そんなこと私に聞かないでもっと専門家に聞いてほしい、とも正直思うが、自分への反省点も含めて私が親になるまでにやりたいこと、という観点でいくつか以下に挙げる。


①親としてもっと世界の価値観を知る。

日本では『外国=アメリカ』というぐらいアメリカの影響が非常に強いと感じるが世界は広い。だから、例えばアメリカ帰りの研究者の本ばかりではなくてアジア研究者、中東研究者や欧州研究者など、幅広い人の意見を読んでみるというのがてっとり早い。
この本や記事はどういう経歴の人が書いたのか、ということを少し意識してみると、これも面白い。

例えば、小論文の書き方で本で『これはいい!』と思う本は、しばしばフランス文学者に書かれたもの。それはフランスがディベートの国で、フランス(あるいはヨーロッパの)の文系の高校生は哲学の授業を受け、『笑いとは』『生きるということ』というような日本人に言わせれば『マジですか?』というテーマで論文を書かされる。そういう事を知っている日本のフランス文学者は、こういう大きいテーマで議論できる日本人を育成したいと切に願うのではないだろうか。

もっと熱心な勉強家の人は、ギリシャ哲学、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などや歴史本など、もっと価値観や世界観の源泉となっている宗教観や哲学に関する本を読むとよいと思う。あるいは小説が好きな人は世界文学全集を読むとか、楽しみながら文化に触れることもできる。


②親として、もっと日本を理解する。

歴史、文化に加え、日本的発想を理解し、子供に不意打ちで質問を食らっても(笑)説明ができる。日本人は日本の事を知らない、と外国では言われるし、私自身もなんて無知なんだと自分に嘆いてしまう。『グローバル』に関わるテーマを研究する方たちも自国を知る事の重要性を説いているので、これはやって損はない、絶対間違いないと思う。

ただ、日本文化を理解するというのでも、日本の本を読んでいると正直きりがないと思ったこともある。どれを読んでいいか分からず、本屋をうろうろしてしまうという方に個人的におすすめできるのは、ライシャワーの『Japan: The Story of A Nation』。幼少を日本で過ごしたハーバード教授として名高いが、実はフランスの国立東洋言語大学(ラングゾー、Langues O')でも日本語と中国語を勉強するなど、いろんな角度から日本を研究してきた学者だと思うし、何よりも分かりやすいと思う。加えて、日本を知る外国人の多くがこの本を読んでいるので、『ライシャワーに書かれていたが』と言うと、『オー、私も読みました』とその土俵で話を進められるというメリットもある。


③子供に日本だけが活躍の場ではないとそれとなく教えてあげる。

私が外国へ出て行く抵抗感がなかった理由は、きっと両親が私が生まれる前にフランスに住んでいたことの影響はあると思う。『ふーん、この人たちでも外国に住めるのか』、と一気に心理的バリアは撤去された。でも親は別に特に『外に行け!』と言わなかった。というよりも、高校生のときに私が大学は米国留学するといったら全面拒否、学部レベルはダメ、お金は出さないと全否定。ふてくされた私は大学時代は空き缶を蹴っていたが、結局フランスでの大学院留学はサポートしてもらった。大人になった今では、その判断の理由が少しは理解できる。でも『行ってもいいんじゃない?』とオプションは頭にインプットしてくれたと思う。

でも外に出てみるか、と考えるようになった本当のきっかけは、小学生の時に外交官の子供だったスペイン人のおばさんに『あなたは世界に出て行くんだから(『行きなさい』、ではなく)』と常々言われたからだ。子供の頃、親の言う事なんてよく聞いてない。でも部外者の彼女は会うたびに小学生の私にそう言ってきていたので『あ、世界って別に普通に出て行けるものなんだ〜♬』と私も刷り込まれて、そのうちまんまと信じるまでになっていた。だから行きなさい!というよりも、オプションとして考えられる、『行ってもいいんじゃない?』と教えてあげるのがちょうどいい案配だと思う。別に海外に行くも行かないも、最終的にはその子の願いや夢によるものなのだから。


④英語以外の外国語を勉強させてみる、あるいは親が勉強してみる

もし語学的センスのある子供であるならば、中国語でもいい、フランス語でも、アラビア語でもいいと思うから、英語以外の外国語の基礎を勉強するチャンスを与えてみるのはどうだろう。語学は思考と深い関係性があり、基礎を知るだけでも、センスがある人は『こんな風に考えるんだ』、など、少し違うものを見始めると思う。親も語学を勉強していると、大人でも勉強するものなんだ、と押しつけではない形でツールを持つ重要性を何となく理解してもらえるかもしれない。(それにヨーロッパに来ると3カ国語話せる、あるいは理解できる人なんてゴロゴロいる。)


…などと、思う事を4つ挙げてみたが、勉強熱心な親である方からの質問が多いので、彼らの意欲に沿う回答をしてみた。正直、こんなつまらない記事を読むぐらいなら、世界の名著を読んだ方が良いとも思うが、参考になればこれ幸い。

2013年10月2日水曜日

ファッション雑誌からの脱線:『Otherness』について考える。

今日、かなり久しぶりにファッション雑誌を購入。いつもは仕事上ビジネスマガジンや科学系の雑誌を読む事が多いので、広告を買っているような雑誌はいかがなものかと思う一方で、まあまあ時にはね、こうオシャレなものを見た方がいいんじゃない?ということで、分厚いのを3冊とりあえず購入。

そもそも今時誰が紙版の雑誌を購入するんだ…とは思いつつも、結構ヘビーな雑誌たちをドサッとソファーに投げ、PukkaのAfter Dinnerハーブティーを作り、お気に入りのBodumの保温マグカップに入れて飲む。

ペラ。ペラペラ。

まずはBazaarの2013年10月号から。今月号は『The Beauty Issue』とのこと。ビューティーからほど遠くなっている私にぴったりではなかろうか。ふむふむ。別冊子になっている『Bazaar Beauty Hot 100』。

Best 1は『Creme de la Mer』のThe Moisturizing Soft Cream。ザ・モイスチャライザーですな。

ちょっと気になったのは、RODINの『olio lusso』。最近顔がカサつくんです。これも加齢ってやつか。あとは雑誌に挟まっていた高級デパートLibertyの別冊の広告雑誌にあったMario Badescu Skin Careの『Drying Lotion』。もともと甘いものは苦手だったのが、最近時々チョコレートを食べるようになると、なんと年甲斐もなくニキビが出来るようになってしまい、ついでに仕事が忙しくなるとあごニキビ!『こいつらを寝ている間に本当にやっつけてくれるのであれば安い買い物なはず』と熱い眼差しを向けてしまう。

嬉しいことに、いくつか私も良しとするものがあったが、その中でも高得点だったのは『Aqua di Parma』の香水『Aqua Nobile』が取り上げられていたこと。3種類あるユニセックスのもので、香水好きの人にはどれもオススメ。街中で香りがすると思わず振り返るほど好きです。

などなど、まあそんな感じで写真が多いものをわざわざ価格まで確認しながら舐めるように読みすすめる。でも活字好きの私には、ファッション雑誌なんて大して読むところないよなー、なんて思いながらも本誌の記事もちゃんと読んでいると、ある記事にこんな表現があった。

『The power for otherness』。

Othernessとは要するにother/differentであるということ、という意味。

ファッションは流行を取り入れることこそ正しいような印象があるが、もともとはOthernessを求める、人と違う格好を取り入れる(シャネルのスタイル、プラダのバックパックなど)ことこそがファッションの原点なんだ、という内容の記事だったが、でもこの記事自体よりも、この『Otherness』という言葉が何だかとても心に残った。

当然英語としては意味が分かるが、ふと、そういえば日本語では何というんだろうと思い、調べてみた。でも『違っていること、異なっていること』ということしか出てこず、しっくりした名詞がない。

そこから少し話がずれて、じゃあ『Togetherness』(togetherであること)ってなんだろう?と思うと、『連帯感』『一体感』という日本語がある。じゃあ『Twosome(twoであること)』は?となると、『2人組』っていうちゃんとした日本語がある。

この『Otherness』という言葉だけがしっくりした日本語が出てこないのが、何となく日本であるような気もした。多分日本ではそれを『外』という漢字で表現していたのかな。『外部の人間が、、、』とか『外人』とか。『内』と『外』という対比で、『自』『他』とは違うレベルの比較。『自』も『他』と近しい立ち位置で『内』入りを目指す、それが日本的な発想か。

もう少し脱線して、『Belonging』も調べてみた。『belongしている』という意味の日本語が好きそうなこの言葉には『帰属』という固い訳が出てきた。

でも、そこには『安心できる関係で感じる幸福』というまさにビンゴ!な訳もちゃんと記されていた。『内』の中にも『Other』がある、そんな海外生活の中で時折感じる『belonging』を、『幸福』という名詞で汲み取ってくれたことに、なんだかホッとした。

はあ、これで安心して後の2冊もじっくり読める♬

2013年2月12日火曜日

個として飛び出すグローバル (2013/02/12):【渡航後】【キャリア】『at will』契約


【今回のテーマ:At Will契約について考える】

国によって異なるが、海外市場で働く際に心構えとして持っておくといいのが、就職は『at will』契約であるということ。

日本では、まだまだ転職のリスクが高いと考える人も多い上、最初から転職を念頭においている人は少ないようだ。ビジネス系雑誌でも例えば『ローカルスタッフはすぐ転職する』とため息をつく日本人駐在員、というような記載があったりするが、それも日本での会社への忠誠心という考え方から来ているのだと思う。

決してそれが悪いとは言うつもりはない(その点は以前も記事に書いた)が、一般的に海外市場では事情が異なる。基本はお互い満足している間だけ雇用関係が成立する、という『at will』契約が中心だ。(※『at will』契約については検索すればたくさんコメントがあるので、ここでは省略させていただく。)

そう聞くと、雇用される側に不利なように聞こえるかもしれない。確かに雇われる側が守られているかどうかとどちらとも言えない。(とはいっても一般的に育てた社員を解雇して新しい社員を育て直すことはロスが大きいので、企業が解雇を振りかざして社員を脅す、というようなことは無い。そういうことはパワハラなどで違法となる国がほとんどだ。)

ただ、だから、自分のスキルはいかほどかを常に意識することが重要になる。一生同じ会社で働くことが前提ではないので、いつかは自分で次を探して行くことになるからだ。

そうである場合の心構えとして考えておきたいことは、例えば以下のようなことだ。

1)自分は汎用性があるスキルを身につけているか?
各企業に独特の仕事のやり方があるのは当然だ。ただ、例えば自分がしていることは他社にも存在する職務内容か、やっていることの中で何が汎用性が高いことか、などをしっかり見極めることが重要だ。仕事のアサインメントにおいても、引き受ける際のタスクの価値判断のひとつとして、この点を押さえておきたい。

2)ポジションタイトルは、外部から見て分かりやすい内容か?実際の職務と一致しているか?
転職することを前提でいると、他社や人材コンサルタントなどから見ても分かりやすいポジションタイトルの方がヘッドハンティングの可能性が高い。もっと言えば、マネジャーポジション以降は一定の経験があると見なされるため、仕事の声がかかり始める。だからポジションタイトルは重要だ。一人でも自分の下で働くスタッフがいれば、マネジャーやリーダーなどというポジションをリクエストすべきだ。また、社内だけで通用するような、日本に多い『営業一課』のようなタイトルは最悪だ。一課の意味するところが外部には分からない。あるいは、社内でのみ通用するポジション名は分かりにくい。自分のタイトルがそのような不明瞭なものではないか、そして実際やっている職務内容と一致しているかは契約書をサインする際、また職務内容が変わる時に人事担当と擦り合わせをする必要がある。

3)自分はファンクショナルスペシャリストなのか、あるいはジェネラルマネジャーを目指すのか。
日本では係長、課長、部長、本部長、などというように、ジェネラルマネジメントのポジションが中心だが、海外では専門分野で活躍を目指し、マネジメントとは別のルートであるファンクショナルスペシャリストという考え方がある。とはいっても上に行けば部下もいるし、人や組織の管理はあるので、マネジメントを放棄しているというわけではない。ただ、専門性を売りにするのであれば、その分野に直結する知識や経験が重視される。だからブレないキャリアの方が好まれる。あるいは価値の高いブレであることを意識する必要がある。同様に、ジェネラルマネジャーを目指すのであれば人やタスクの取りまとめをする役割に積極的に手を上げるとか、早いところマネジャーというタイトルを獲得することが重要だ。

『at will』契約は必ずしも不利ではない。契約が自分に見合わないと感じた時に、契約の交渉が出来るからだ。会社が必要な人材と見なせば、多少なりとも条件の改善が期待できる。ただ、すべてを年俸としての金銭的な見返りではなく、例えばもっとトレーニングを受ける機会を与えてもらう、産業コンフェレンスに参加させてもらい人脈を築くなど、総括的に人材としての価値が高まるものを交渉するのも手だ。

一方でドライな関係であると言えばそうでもある。周りには『私はこれだけしかしないよ』という態度の人も多い。そのような中で、自分自身はどう考えるのか。周りと同じように『これだけしかしません派』になるのか、会社の目標に照らし合わせながらも自分自身でも目標を持ち、自己実現を目指すか。『流されない』生き方は職場でも大事だ。

私はこれを選択する。

『ぶれない生き方』などという表現があるが、一歩一歩、『I choose to ….』という表現で考えていくと分かりやすいかもしれない。私もやっと最近になり大人としての知恵が付き、迷いが生じると『自分は何を選ぶのか?』と意識するようにしはじめた。結局はそういうことなんじゃないかな。



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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。

2013年1月20日日曜日

個として飛び出すグローバル (2013/1/20):【渡航前】【心構え】くじけそうになったときのことを前もって考えておく

【今回のテーマ:くじけそうになったときのことを前もって考えておく】


これは最近になってアドバイスするようになったこと。『とりあえず、くじけそうになった時にはこうする、っていうのを考えておいたらいいよ。あの歌を聞くとか、こういうスポーツをするとか、部屋を片付けるとか。』

別に国内にいたって思いっきりくじけそうになることは多いにある。ただ、海外にいると周りにサポートシステムがないため、『くじけそう』から『暗闇に迷い込む』ように気分が急降下してしまいがちだ。やけ酒して暴れるという元気があるならまだしもいいが、軽い鬱状態になる人もいる。だから、最初から、くじけそうになったときにどうやって自分を励ましていくかを考えておくとよいと思う。

そういう私も、これまで特にくじけ対策はしてきてなかったが、迷っていると思うときは、何となく手帳を持ち出して、迷う前は何考えてたっけ?と今年の目標やその他の走り書きを眺める。

加えて、実は最近になってくじけそうになったらこれを思い出そう、という歌を決めた。KANの『最後に愛は勝つ』だ。
この歌のことは、長いことすっかり忘れていた。それが、暇なときに見漁った『情熱大陸』で、出演していたモデルの杏が『最後に愛は勝つ』のカバーをレコーディングをしていたシーンがあったのだ。それで何となく歌詞を振り返っていたときに、ああ、何だかこの曲の軽さが非常に心地いいなあと思った。自分なりに紆余曲折、いろんなことをくぐり抜けたから分かるのか。多少大げさに聞こえるかもしれないが、大人になって昔読んだ小説を読んでその価値がやっと理解できたと思えた気分だった。

もっとカッコいい曲を自分の激励テーマ曲にしてもいいが、結構ストレートで最終的にはそこそこいい加減な性格、そのくせ頭でっかちにいろいろと考えがちなので、こういうトーンの曲がいいだろう、と。母親に『え?人生楽なんて言って育てたつもりないけどな~♩』とさらりと言われたあの日の夕焼けのことをぼんやり思い出しつつ、とりあえずそういうことにした。

とはいっても、私は歌が下手なので、歌うわけではなく、歌詞を思い出し、まあ人生いろいろあるさ、と思うわけだ。あれこれ考えて頭でっかちになりやすいところを、敢えてシンプルに行こうではないか、と。自分にとってはそういうような意味付けだ。

大抵こういうことで自分は落ち込みやすい、というのが分かってくれば、その状況が起きた瞬間に『おっとっと』、と思う。『危ない、危ない、また転げ落ちるところだった』とか、自分でつぶやきながら(←怪しい?)、早めに挫折を切り上げよう。正直、くじけやすい人は、ポケットサイズの『くじけ手帳』を作るぐらい、自分なりにああいう時はこうしよう、というネタ帳を持つべきだと思う。これさえ持っていれば、何が起きても大丈夫、と安心材料になる。こんなところでも自己分析は役に立つものだ。そういえば、ボーイスカウト手帳(※弟のです)が言っていた。『備えよ、常に。』

日本にいても、海外にいても同じことだが、耐えなければならない試練というのは必ずある。ただ、最近思うのが、表面的には非常に重要な試練に見えても、自分の人生という長い目で見たらそれほど価値がないこともある。それに耐え方というのはいろいろとあって、適当に耐える程度で良いこともあるし、真剣に本気で耐えることが必要な場合もある。また、自分がどうでるかで大きく状況を変えられる試練だってある。

例えば、上司のいじめは人生にとっては価値は低いし、転職すれば大きく状況解決に導ける、など。その場にいるときは、毎日が試練に見えるが、実際は単に幼稚な上司に付き合って時間を無駄にさせられているだけと考えられるかもしれない。そう考えると、いい加減に耐えるか、あるいはきっぱりとその場から離れるか、などと対応策が見出せる。

試練を耐える時の力加減は自分の人生への意味合いと比例しなければ、耐え損だ。だから、気持ちの急下降を避けるためにも、自分の目標を中心にどこまで悩むか考えた方が良い。私も最近はそう考えるようになってきた。

『え~、この件に関しましては、とりあえず一晩やけ酒、2日目二日酔いで不機嫌/体力消耗、3日目はしょうがないからしぶしぶ対策を講じはじめ、4日目にはひらめきが訪れ、5日目にはトンネルを抜けた気分、6日目の私は先週とは別人よ』とでも、多少ふざけた悩みプランを持つ。数日間、グダグダ、メソメソする余裕も必ず含めよう。そうすると、『さて、グダグダもしたし、次はどうしよう?』という風に気持ちの上でも納得がいく。

ついでに言うと、新しい国に来た矢先の愚痴やグダグダ、メソメソは、なるべく日本人の友達と共有しよう。

日本では、比較的『弱みの共有』が許される。『飲ミニケーション』のように、夜、会社の愚痴を言い合うことで、みんなで気持ちを整理し、新たな明日を迎える、そういうことが普通に行われる。もちろん居酒屋で暴れ、上司を罵倒したら別だが、多少鬱憤晴らしをすること自体は容認され、コミュニケーション、信頼構築の一環と捉えられる。

ただ、弱みの共有がポジティブに受け入れられない文化もある。より個人主義で、(『和』を重んじるというよりは)『個』を尊重する文化では、悩んだ結果の共有(私はああしたい、こうしたい、I have a dream.)を強調することの方が、『こいつはやる気があっていい』『ポジティブな影響を受けられる』と、人間関係、サポートシステム構築を促す場合もある。十分親しくなってからではないと、弱みを見せない、そういう文化の人の前で自分のイメージを崩すようなことは、特に職場などではネガティブだ。

だから、悩みをある程度自己処理できることは非常に重要だ。方法は何でもいい。自分の悩み方を良く理解し、対策を先に考えておこう。

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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。

2013年1月12日土曜日

個として飛び出すグローバル (2013/01/12):【渡航前】【語学力】専門分野の語学学習は日本にいるうちに!


【今回のテーマ:専門分野の語学学習は日本にいるうちに!】

海外に飛び出したい、という人によく相談される。『あれがしたい』『これに興味がある』。『でも、語学ができないんです。どうしたらいいですか?』と聞かれることも多々ある。

現地に行けば自然と身に付く、という人もいると思うが、私は敢えて厳しく突き放す。『それじゃあ前途多難、厳しいと思います。』

当然、そういうことを言うと、とても嫌われる。『あなたは語学に長けていてラッキーですよね』と言われる。確かに私はそこそこ耳がいいと思うし、そこそこいい加減な性格であるところも、実は語学学習にプラスになっていると思う。

でもそういう理由は、言葉以外にも苦労しなければならないことは山ほどあるからだ。だから、日本でできる苦労は、日本にいる間に処理しておきたい。

語学学校に行くこと自体が目標であれば別だが、相当語学が出来ない限り、外国語で勤務しながら活躍するというのは難しい。というよりも、採用してもらえない。私の周りでも、専門分野を持ち、語学だって上級の人でさえ『言葉ができぬ』『思いが通じぬ』とため息をついているので、語学力から現地で身につけるという姿勢ではロスが多い気がする。

そういう嫌なことを言うと、『じゃあどれぐらい出来ればいいんですか?』、と半分怒った顔で聞かれる。TOEICで何点取ればいいのか、とかそういうことばかり聞かれる。

目安が欲しいのは良くわかるが、私ももう長いこと語学検定などを受けていないので、正直何点取ればいかほどか、というのは良く分からない。

それにコミュニケーション力には幅がある。
私の周りにも、こういう人がいる。本人は外国語は苦手と言っているし、実際大してスラスラ話すことは出来ない様子。それでも、謎に学者から若者までと幅広くそれなりにコミュニケーションが取れている上、相手も積極的に彼女に話しかけていく、という不可解な現象が彼女の周りで起きる。本人曰く、『総合力で勝負』。彼女の言う総合力には何を含むのかよくわからないが、一般常識とか、専門分野の知識とか、親心とか、ひと好きがする、『全部分からなくても大丈夫力』の高さなどと私は理解している。結局はコミュニケーション力は総合力なのだ。ちなみに、これは私の母の例である。

ただ、適当路線を貫くよりも、なるべく言葉はちゃんと勉学した方が良い。仕事で外国語を使う場合、絶対に、発音が悪いよりは良い方、文法が曖昧より完璧な方が全般的に評価が上がりやすい。理由は、もちろん『周囲に理解されやすいから』。もっと言えば、発言に中身があって多少発音が悪いのは許されるが、中身もあやふや、発音、表現力が乏しい場合は職場では相手にされなくなる。

相当珍しい外国語を勉強しない限り、日本でも教材には事欠くことはないし、語学学習の達人という人たちの本から学習テクニックも学べる。語学学習のプロが勧めることを片っ端から試してみればいいと思う。だから、自分なりに『やれることはすべてやった』と思えるぐらい、徹底的に取り組んでみると良い。実際に何よりも大事なのは、他人による語学スキルの評価ではなく、自分で『知らないことは説明してもらえば理解できる』と思える自信なのだ。できると思っていれば、分からなくても『分かるはず』、完璧でなくても『大筋は伝えられる』、と思えることで、ひとまず最初の3ヶ月を突破していける。

ただ、それでもしつこくどう準備をすればいいか教えてほしいと迫られると、『今日、日本語でも一番説明しづらいと思ったことは何か』を毎晩考え、『それを自分なりに外国語でどうにか言えるかどうか』、を考えてみると良いのでは?とアドバイスする。

相当語学が出来ても、というよりも、母国語であっても、毎日完璧に言いたいことが言えた、ということはあまりない。後でこう言えば良かった、ああ言えば良かった、と後悔する。だからこそ、その日一番難しいことを後付けでも『こういう風に言えばいい』と思える表現が出てくるようになれば、ある程度のレベルに達したと考えていいと思う。

語学力はなだらかにアップしない。数ヶ月単位で段階的にアップし、あるとき突然音が聞き分けられ、文章が理解できるようになる。だから、しつこく勉強した人が能力アップしていく。

あまり難しく考えすぎないでもいいと思う。語学は基本、パターンプラクティスで、ハコ(文法)と単語の蓄積がモノを言う。

パターンプラクティスとは、『私は猫が好きです』というのを『あなたは猫が好きです』『私は犬が嫌いです』という風に、パズルのように組み立てるイメージだ。大抵の西欧言語では、『好き』と言えれば否定を加えることで『嫌い』と言える。そして『猫』『犬』『うさぎ』、あるいは『私』『あなた』『彼』という風に変えて行く部分の語彙を増やすことがまずはてっとりばやい。

そして、正しい外国語を話すための基本は、文章の構成の基本となる文法だ。日本人は文法ばかり勉強してるから語学が出来ない、という批判があったが、いえいえ、ハコは何よりも重要です、だから何よりも先に基本文型、まずそれありきでしょう、と私は思っている。

ハコは学校で学んだから、語彙力はどこからつけていけばいいのさ?という話になるが、日常会話は本を一冊とりあえず買ってそこにあることをすべて学ぶとし、その後は自分の専門分野の語彙をどんどん習得していくのが仕事をしていくことを考えれば最も効率的だと思う。専門分野の本が読めるぐらいの語彙力があれば、確実に話せるようになっていくと考えている。だから、話せないから不得意と感じるよりも、そもそもの得意分野、専門分野であればすらすら外国語で本が読めるというレベルになる、というところまで頑張ってみるのが近道だと思う。

だから基本レベルを押さえている人は、『おはよう、こんにちは』の英会話学習は辞めて、自分の専門分野の本を片っ端から読み、今日一日でどうしても伝えたいことを考えてみると良いと思う。

ただ、あまり語学力が重要、というと誤解が生じるので最後に一点付け加えておくと、海外市場では、語学力が高いことだけが理由で採用されるパターンは限定的。日本のような総合職という考え方はあまりないので、とりあえず採用しておいて使い方を決めよう、という風に人事は動かない。まずはスキルありき。一度、帰国子女という方が『日本語と英語のバイリンガルとして仕事をしていきたい』と面接で発言されたことがあるが、正直びっくりした。とても性格も良さそうで優秀そうな方だったので、分野違いの会社での面接でそれしか言うことがなかったということだったのかもしれないが、(この場合は英語だったが)英語は話せて当然。加えて何をスキルとして、知識として持っているか。勝負はそこになる。

日本での就職活動もかなり厳しい状況であるようだが、海外市場だって簡単ではない。むしろ厳しい。だから、出来る準備は出発前に十分しておくことをおすすめする。


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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
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2013年1月6日日曜日

個として飛び出すグローバル (2012/01/06):【渡航前】【心構え】飛び出すか迷っているときに


【今回のテーマ:飛び出すか迷っているときに】

こういう質問を受けることがある。『海外に行くか迷っています。どう思いますか?』

そういう言われると、結構回答に迷う。

本当は『迷うぐらいなら辞めた方がいいです』と言いたい。日本はまだまだレールを重んじるところがあり、一度離れると軌道修正がしにくい国だ。迷った挙げ句レールを外れて、やっぱり後悔して戻る、となると、また二重に損する感じがする。女性であれば、30代以降は就職も厳しくなり、なかなか正社員がない、と聞く。そんな状況で外に飛び出すのであれば、もう戻れないという強い覚悟がなければ難しい。

でも一方で、『いや~、いろんなところに住むっていうのも面白いですよ~』と言って後押ししてあげたい自分もいる。そういう道を選んだ自分も、そこまでの意気込みで海外に来た訳ではなく、何だかそういうふうに人生が流れてしまった、という方が現実に近い。すべて計画通りには行かないのも人生。波瀾万丈とは言わずとも、結構日常的にスリルが多いことも確か。

だから、わざと少し論点をずらして、『体力的に自信がありますか?』と聞くことにしている。

そうすると、必ず、『え??体力ですか?』と言われる。
『それ、文脈的におかしいだろう』、『何たぶらかしてるんだよ』という相手の心の声が聞こえてくる。

困惑する相手に対しいつも言っているのがこれ。『いやね、海外で一人でやっていくって、結構馬力がいるんですよね。』

そう言っても大抵すぐはレスポンスがないので、そこからは好き勝手話し始めるとする。

そもそも、普通に考えて日本人が自国・日本で会社勤めをするだけでも毎日結構大変だと思う。(この点をあまり認識していない若者からも相談されることが有る故、まずはそこからスタート。)それをわざわざ他国でやろうと思うと、行き着くところは精神力、体力勝負と言っても過言ではない。海外でピンで活路を拓いて行くには、『石の上にも3年』というか、最初の数年が鍵となる。周りを見ていると、厳しい3年を頑張り抜けた人は大抵その後余裕で居残る。

だから、どこから手をつけたらいいか分からない、という人には、『とりあえず毎日腕立て伏せ30回やることから初めてはいかがでしょうか?』という。そうすると笑われる。でも『その30回を半年続けることができたら、ひとまずやる気という意味ではパスしたと自分に言ってあげていいと思う。しかも実際に体力(腕力)もつくわけだし、得した気分になってほしい。』と言う。

どこから手につけていいか分からないのなら、少し具体化するお手伝いをするという意味でそう言うが、そうするとほとんどの人が自主的に何かしら行動を起こし、『準備として○○を始めてみました』と言ってくるようになる。そうやって多分イメージが少しづつ沸き、話に現実味を帯びてくる。

ほんの少し背中を押すだけでこんなに変わるのだな、と思いながらも、逆に辛いのが、一人で飛び立った後、最初から現地でそういう風に支えてくれる人が必ずしもいるわけでもないという点。つい親心のように心配してしまったりもする。

とはいっても、別に毎日が辛く悲しいわけではない。というよりも、通常は楽しい日や普通の日の方が圧倒的に多い。ただ苦しくなってきたときに自分を救えるのは自分の精神力だけだ。

そんなこと、海外にいなくたって同じだ、と思われるかもしれない。いやいや、でも周りにサポートシステムがない場合は結構辛いんですよ。グッと来るんです、痛みが。しかも、例えばヨーロッパのように、昼が短く曇りがちの冬に、周りには何でも話せる友達もおらず、セントラルヒーティングは故障して寒いし、ボイラーは不具合を起こしている、という状況(※こういう環境的不具合、よくあります)。そんな中、『今は○○だけど、自分には乗り越えられるに違いない』と、自信を振り起こして前進していかなくてはいけない。トンネルの先には光が見える(…気がする)、と信じていくしかないのだ。

…と、想像するだけで多少暗い気持ちになってしまう。

ただ、辛いときに真面目に自分にムチを打つ必要は全くないと思う。必要なのは、そういう中でも、『ま、いいか~♩』と適当にやり過ごすことが出来る力。

ん?それって『力』と呼ぶものなのか?

はい。敢えてそれは力だと呼びたい。
…と言い切りつつ、一瞬『力ってそもそも何さ?』と不安がよぎったので辞書で調べてみた。

力とは、『何かをするとき、また、動かすとき、それを可能にする働きを生み出すもの』だという。

なるほど。『それを可能にする働きを生み出す』、か。適当にやり過ごすことを可能にする働きを生み出す、というと、何が何だか分からないが、精神的な凹みを乗り切るエンジンと考えれば、それも力なのだろうか。

まあ、迷っているならば、とにかくゼロからイチに何かを動かし始めるといい。それが毎日腕立て伏せでもいいのではないか。ただ、決めたリズムで継続することが大事。たとえ目標とかけ離れているように見えても、機動力をつけることは人生においてもプラスになる。そういうわけで、これからもクサいことやカッコいいことは言わずに、多少トンチンカンでもこのようなアドバイスを私はしていこうと思う。


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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。

2013年1月2日水曜日

個として飛び出すグローバル (2012/01/02):【企画の紹介】はじめに


 『個として飛び出すグローバル』というテーマを見つけたのは、Analyze + Summarizeを立ち上げてからのこと。

Analyze + Summarizeはそもそも5分の隙間時間を有効活用するために面白い記事をリビューしますよ、との押し売りで始めた割には、日々気になったことについて好きに話すという方向性で進んでいた。

そんな『押し付けられた友達以外、誰がこんなもの好んで読むのかねえ』と思い悩む、ある日のこと。

ーーーー
Analyze + Summarize、今後どうするのさ?
何が売りなわけ?
読者、離れつつない?
もっとガンガン書くべきじゃない?
お金にならなくてもいいわけ?

そもそも、私でなくても日本プラス2カ国経験者なんて、結構いるじゃん?
駐在さんとか、一度海外に出たら海外組になるっていうし。」

と自分を責め始めると、自己保存本能が動き始め、

ハッ!

と、ここで今日の気づきがあったわけです。

『個として飛び出すグローバル(仮)』。

日本の会社に所属しての海外組は結構多い。中には大きなお金を動かしている人たちもたくさんいる。エリートと言われる人たちだ。
10年ひとつの(外)国にずっと住んでいる、その国のベテラン日本人の方もたくさんいる。現地情報は彼らの方がずっと詳しい、ローカルエクスパートと言われる人たちだ。

でも他のカテゴリーにはノマドもいる。ピンでこれだけ海外を住み渡り歩いて結構普通に仕事をしてきた人は少ない。そう考えると、勝手にひとりで外に飛び出した人が、そこで活躍していくには何が必要か、どんな壁や挫折があるか、(どういう面白みがあるか、)そういうことならそこそこの自信を持って語れるような気がする。(ただ、「良い子は真似をしないように」という話になってしまってはしょうがないが、そこはモノは言いようということか。)

ーーーー

『勝手にひとりで外に飛び出した』というのは多少失礼な表現だが、以前書いたことなので修正を加えずに掲載。)

日系のビジネス本や雑誌を読んでいると、日系企業からの海外勤務経験者や国内の外資系で活躍されている方の意見は目にすることができる。ただ、海外でガチンコ勝負している人の声はなかなか届いていないようで、そのためか、ときどき『海外組の実態を教えてほしい』と聞かれる。そこで自分の過去を振り返り、自分なりに考えをまとめるついでに、最も汎用性が高そうな部分を共有していこうと考えるに至った。

(至った、とはいっても、しばらく前に『来年は「個として飛び出すグローバル」を書きます』と言ってしまった手前、やらなければならなくなったという方が現実には近い。)

もちろん、私以外にも特に日本を相手にすることもなく海外市場で活躍されている方もたくさんいる。だからあくまでも一個人の経験だ。(将来的には他の方の経験談もここで紹介できるようになれば、これから飛び出そうとしている人や飛び出した先で活路を見出そうとしている人に何らかの参考になるのではないか、と思っている。)

私自身は、転勤などという形で組織に属して海外に働きに来たわけではなく、海外で大学院を卒業後、現地でそのまま外資系企業に就職し、そこからいろんな国や会社を渡り歩いてきたタイプ、『結果ノマド派』だ。特に望んでそうしてきたわけではないが、何となく流れで現在も外資系企業(=日系じゃないという意味)に勤務し、これからも仕事をしていこうと考えている。

特に大それたミッションを感じているわけでもなく、人生も緩やかに現在進行中、未完成、まだまだこれから、といったところだ。結構働き者だとは思っているが、人様に偉そうに何かを語る資格は大してないというのも自分が一番良く分かっている。そこが辛いところだが、その辺はお許しいただくとして、使える話は活用していただければありがたい、というスタンスで、特にこれまで個人的に質問されたことを中心にまとめたいと思う。

なお、この連載では、なるべく自分が理解していることを書きたいため、自分の状況に近いことを目指す、あるいは同じようなことをしている方を意識して書いている。
具体的には、読み手の想定としては、
『(駐在員などのように)組織に属しているわけではなく』、
『(個人事業主ではなく)一般企業に勤務』している、あるいは勤務を考えており、
『(ゆるキャリというよりも)現地でそれなりにバリバリ仕事をしたい』
という前提で書いている。

加えて、私自身はひとつの国のローカル・エクスパートではなく、日本以外にも5カ国で勤務経験を持つ、ピンである上、しかも『流れ』でもある。あるひとつの国については私よりも知識豊富な方が大勢いらっしゃることも十分理解している。その点はご了承いただきたい。

最後に、私は子供のころから十人十色というコトバがとても好きなタイプで、基本的には何がいいかなんて、分からない、人それぞれだ、と思っている。だから『個として飛び出した方がいい』とか、『いやいや、組織から派遣された方がいい』とか、そういう価値判断はしていないつもりだ。あくまでも『へ~、そんな人もいるんだ』、という程度で、選択肢のひとつとして捉えていただければありがたい。

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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。

2012年12月23日日曜日

出すぎた杭も使い用なのでは?


【今回のテーマ:出すぎた杭も使い用なのでは?】


今朝、日経ビジネスを読んでいて、最近駐在員の間に『OKY』という表現があると読んで吹き出してしまった。日本本社に対する不満で『O(お前が)K(来て)Y(やってみろ!)』の略らしい。面白い~。

『グローバル人材の幻想』という企画のようで(リンクは最後に参照記事として掲載)目を通したが、幻想として以下3点が挙げられていた。
①機会を与えれば人は育つ
②海外人材ならいつでも採れる
③うちは人材を活かしている

どれも確かにそうだなあ、という内容で、読み進める。

最後は

『海外の優秀な人材にとって、日本企業は想像以上に魅力を失っている。日本人のグローバル化も途上だ。日本の本社が発想も組織もグローバル化しなければ、人材不足が将来の海外事業展開の大きな阻害要因となりかねない。足を止めた企業に未来はない。』

と締めくくられていた。

なるほど。

もともとグローバル化に注力していた企業、あるいは商社のようにそもそもグローバル思考が根底にある企業の海外展開はすでに確立しているし、売り場としての海外市場というのもある程度進んでいると思う。だから多くの会社にとってグローバル戦略のネクストステップは、組織戦略、人材戦略という分野になるのだろう。

ちなみに、この企画でも取り上げられていたが、日本ではGEのような会社がグローバル化の成功例として提示され、あたかも全般的に米系企業が進んでいると見えるかもしれない。ただ現状はそうでもない。日本と同じように、売り場確保では一定のプレゼンスを確保し、組織、人材のグローバル化はこれから、という企業も多い。

ただ、個人的な経験から言えば、海外の日系企業(海外支社)と米系企業の海外支社を比較して組織、人材戦略で圧倒的に異なると感じる点がある。あくまでも個人的な経験なので、海外にいる一人の日本人に対しどういう対応がなされたか、という一例でしかないことは認める。ただし、海外5カ国で勤務経験を持つので、複数カ国のデータポイントに基づいて評価しているとは考えている。

①『ポテンシャル』に対する評価の違い
米系企業の方が基本的なスキルセットや経験ベースを持っていると、ポテンシャルを買う意欲がより高い。日系企業はとりあえず下のポジションから採用してみよう(駐在員の下につける)、という動きを見せる。なんせ、日本企業では昇進スピードが遅いので、「とりあえず」から次のステップへの道のりが長い。そうなるともちろん採用される側としては、ポテンシャルを買ってくれる会社を選択するだろう。

②採用は『人材確保合戦』であることに対する認識の違い
米系企業の方が採用をより戦略的に捉えており、人材は取り合いと見なしている。そのため、傾向として、結果、給料が高い(個人的な経験では日系の提示額の倍相当を提示してくる)。日本ではここのところずっと買い手市場の雇用市場であることからか、海外でも人材は奪い合い、ということを忘れているように見受けられる動きも多い。日系エージェントもコミッション狙いであるため、低い給料でも「こんなもんだ」と受け入れるように要求してくる。そういうことからか、全般的に海外の日本人雇用市場の給料は低迷している。ある国では過去10年間給料レベルが推移していないということも聞いた(要するにインフレ調整さえされてほとんどされていないレベルとか)。

同じようなことが一般的であれば、やる気のあるローカル日本人はローカル企業(この例では米系企業)への就職を選択するだろう。

さらに言えば、海外で働く日本人としていつも見過ごされているなあと思うのが、日系企業による積極的な海外在住日本人の活用だ。海外の大学や大学院やMBAを出た人材をその地で採用して日本との連携と現地の経営にもっと役立てていくことはできないのか、と感じる。

現地にいる優秀な日本人ほど日系企業との親和性が高い人材グループはないと思う。日本での採用ほど、粒ぞろいの人材を見つけることは難しいかもしれない。スキルセットや経験も千差万別であることは確かで、日本ほど大きな母集団から採用するわけではないからだ。だから自社の求める人材に該当する人はごく一部だろう。

ただ、海外で生きて行く、特に駐在員や交換留学のように会社や学校に所属することなく一人で海外で活路を切り開いて行く、というのは、それほど楽なことでもない。まさにこれも『OKY』、お前が来てやってみろ、の世界だ。だから大抵の人は現地事情に通じているだけではなく、精神的にもタフな人材も結構多い。

ただ、往々にして『海外にいる日本人は自己主張が強い』と捉えられてしまう。『出る杭だが、打つと外人並みに戦ってくる好戦的な人材』と見えるようだ。出過ぎた杭も使い用だと思うが、やる気より、駐在員の指示をそつなくこなす無難な人材が求められる。あるいは、採用してもまずは数年日本勤務が前提だとか、採用した後も日本流の人材管理の元で何となく年功序列の対応となり、特に採用後のキャリア展開のサポートをしていない。そういうことが数年続けば当然他に採用口を見つけられる人材はどんどん転職していくだろう。そうするとまたローカル日本人の評価が下がり、『ローカル日本人はすぐ辞める』となる。『相手(採用された側)がコミットしないなら、こっち(採用する側)もコミットしない』、という発想となり、当然採用される側もコミットしない会社に対してはコミットしないため、人材の流動性は高まるばかりだ。

もちろん、すべての日系企業がこうである、というわけではない。面白い取り組みをしている会社が最近増えているということですばらしいと思う。ただ、この日経ビジネスの企画で『周期遅れ』、と題されていたのをこの企画記事とは異なる角度から見てもうなずける。

『日本の技術神話を捨てろ』などという厳しい記事もときどき見かけるが、とはいっても日系企業の持つ技術は高い評価を受けるべきだと思うし、研究開発に当てる金額も情熱もトップレベルであることは間違いない。サービスの質も高い。海外事業における組織戦略、人材確保についても問題意識が低いわけではないと思う。だからこそ、売り場としての海外戦略から、次のレベルのグローバル化でももっと大胆な動きを見たいな、と個人的には思う。

ちなみに、この記事で『OKY』以外にも、人材登用の『卒業型』『入学型』『ニコイチ』という表現を学んだ。『卒業型』とは、すでに役職・役割に求められる技能を既に十分備えた人材を任用する方法、『入学型』は不足している技能もあるが、今後の成長ポテンシャルを買う考え方という。『ニコイチ』というのは、入学型の登用の際にメンターをつけ、『2人1組』とすることらしい。なるほど、勉強になりました。

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参考記事:
日経ビジネス
特集 グローバル人材の幻想(2012年12月24・31日号)

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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。

2012年11月23日金曜日

ノマド・メンタリティを培う


【今回のテーマ:ノマド・メンタリティを培う】

今朝、レバレッジ・マネジメントの本田 直之さんの記事を東洋経済オンラインで拝読。『30代で始める「ノマド・トレーニング」』というタイトルで、大きくうなずける内容だったのでご紹介までに。

30代で『ノマド』としてやっていけるだけの基盤を培おう、という内容の記事。ちなみに、ノマドとはなんぞや、というところで、記事の筆者はこうコメントしている。

ーーーーー
ノマドとは、働き方というよりは生き方です。「会社を辞め、モバイルを駆使してカフェで仕事をすること=ノマド」というイメージが独り歩きしている感もありますが、私の考えはまったく異なります。
「自由でオルタナティブな働き方」を含めたライフスタイル全般を指すもの、それがノマドではないでしょうか。それゆえに組織に属していてもノマドライフを送っている人はいますし、フリーランスであっても制約が多い「縛られた生き方・働き方」をしている人もいます。
何を選ぶかは個人の自由なのですから、どちらが良い・悪いではなく、自分に合った生き方・働き方を、それぞれが自分の意思で選ぶ時代が来ていると感じています。
ーーーーー
(出典:「ノマド=カフェで仕事」ではありません、一部抜粋。
 http://toyokeizai.net/articles/-/11771)

最近年代別のビジネス本が多いみたいだが、個人的にも30代はかなり重要なのではなかろうか、と感じている。人生最初の20年は多くの場合が親のサポートの中で生きているため、初めて自分で生きた10年の結果が見えてくるのが30代。仕事を初めて10年が経ち、それぞれが違う道を歩き始めていると感じる中で、自分はどうしていきたいか。自分の能力や限界も見えてくる。中だるみも始まる。そういう中で一念発起というか、これから30年も頑張るぞー!と思えるためには、自分の中で(他人任せではなく自分で)新しい風を吹かせることが必要になってくるような気がする。

ただ、『攻め』と同時に『守り』も重要になる。だから、この記事の『マルチキャリアに挑戦する』というのは理にかなっていると思えた。そういうことを考え始めると、自分には何が足りないかを考える機会にもなる。新しいことに挑戦しようと思えば、何となく同じことをしてしまう『ルーチン』も改めなければならない。

記事でも書かれている通り、『自分の市場価値を知る』というも重要なポイントだと思う。以前、自分をフリーエージェントと考えた方が現実に合っている、と書いたことがあるが、特に海外で生活していると『誰のどのようなニーズに応えられるか』と『自分が何をしたいか』の擦り合わせで転職先や仕事内容、そして待遇が決まってくる。転職という機会がないと社内人事の評価で報酬が決まっていくので、なかなか外部から見た自分の価値、というのが分かりにくいと思う。だから確かに転職サイトに登録することで誰がどのような面で自分を評価してくれるか見えてくるので面白いのではないか。

その点を意識していると、やりたいことをやりたい放題にやるのではなく、少し付加価値が出るような方向へ動くよう意識するようになる。加えて履歴書の書き方に対するフィードバックもある。私も過去に経験があるのだが、どれだけ『この分野は希望していない』、と主張しても、自分が過去経験がある一定の職種ばかりから声がかかることがあった。そうなると、①他の部分を強調することで希望している分野へのアピールを強める、あるいは②『やっぱりそこを売るしかないかねぇ』と考えを変える、という対策ができる。②を選んでも、同じ分野で同じことをするのではなく、少しアピールの仕方を変えて違う形で花咲くことを狙う『軌道修正』も可能だと思う。

この記事を読みながらついでにぼんやり考えたのは、これからの世代には、多分『定年』という考え方がなくなるんだろうな、ということ。80まで生きるようになることを考えると、65歳で定年となっても15年も仕事なしで生きていくというのは場合によっては経済的に厳しいだけではなく、何もしないには長過ぎる。そうなると定年という発想よりも、経済的に退職出来る人は仕事を辞めるが、仕事を継続するという選択もできるのでは。働き続ける選択をする可能性もあると考えると、若いうちから倒れてしまうような働き方や女性が結婚や出産を理由に働きづらくなる環境ではまずいのではないか、と思う。右に倣えの働き方をしていると、死ぬまで働けない。

ただ、残念ながら自分の世代では環境が大きく変化するとは思えない。そうなると少しでも状況がいい会社に移ることを目指すとか、個人レベルで対応していくしかない。乗り切っていくには、この記事にあるように、30代で出来る軌道修正やアクセルの踏み込みはしておいたほうがいいということなのだろう。受け身という選択肢はなさそうだ。腹をくくるしかないみたいだな~。

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【参考記事】
30代で始める「ノマド・トレーニング」
(レバレッジ・マネジメントの本田 直之さんの記事、東洋経済オンライン 2012年11月22日付)

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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。

2012年11月20日火曜日

日本では自由=無責任?


【今回のテーマ:日本では自由=無責任?】


週末に日経ビジネスを読んでいたら、こんな面白い記事があった。

『個人の創造性を根絶やしにする日本社会の「立場主義」 安冨歩・東京大学教授に聞く』


(以下、上記記事より一部抜粋) 
ーーーーー
安冨:
日本というのは異常に専門家を重視するんです。これは面白いんだけど、原発に賛成する人も反対する人も、ものすごく専門家の言葉を重視する。ヨーロッパの人はそんなに専門家の言うことを聞かない。イギリス人なんか特に、専門家に対して評価が低い(※1)。

シビリアンコントロールと言うけど、あれは「文民統制」ではなくて、「素人による統制」なんです。シビリアンとは、プロフェッショナル(専門家)に対しての素人。故・森嶋通夫先生が言っておられたのですが、日本はプロフェッショナル・コントロールの国だと。

日本人が言う「素人」とは、「立場のない人」です。立場は責任と結びついているから、責任を負わない素人が判断なんてできない、と。逆に専門家とは「立場のある人」。

(中略)

ヨーロッパ言語における「選択」の概念を考えると、選択は自由と結びつきますが責任も生み出します。「選択、自由、責任」がセットなんです。

ところが日本では、自由と結びつくのは「無責任」なんです。なぜか。日本では責任は立場に結びついているからです。「立場がない=自由=フーテンの寅さん」なんです。

日本社会における自由の根源は何かというと「無縁」です。「無縁=自由=責任がない」。これに対して「有縁=不自由=責任を負う」。つまり自由と責任が対立概念なんですね。ヨーロッパ言語では自由と無縁は全く結びつかない。不思議なんですよ。

有縁、無縁は中世にできた家制度と結びついていて、家制度自体は高度成長期に崩壊して、戦争によって鍛えられた立場主義に変質しました。
ーーーーー

特に後半はとても興味深いポイントだなあ、とちょっと考え込んでしまった。『自分の意思で選ぶ』ということが西欧的発想では『自由』、そして『結果には責任を取ることとなる』ということが結びついているのは理解していたが、日本では何かずれているというところまでしか理解していないかったので、この『自由=無責任』という構図が見えて、大きくうなずいてしまった。なるほど。

しかも『有縁=不自由=責任を負う』が、しかし『=責任を取る』とは必ずしもつながっていないのが日本の現実に見える。すぐ連帯責任を持ち出すところも、責任の所在が明確ではない(責任の所在を認めない)、という建前と現実というまた日本っぽい観念が入ってくる気がする。

少し話はずれるが、欧米(※2)の会社はフラットだとよく言われることがある。私が以前勤務した会社でも確かに年功序列ではないし、おそらく日本では課長に相当するミドルマネジャー的なポジションが少なかったこと、タスクフォースなどプロジェクトベースで立ち位置が多少変わったりすることがあるので、日本の部長、課長、係長、のような構造よりもフラットでフレキシブルだった。下も上に対してどんどん提案していくことなども考えれば、より全員参加型に見えるかもしれない。

ただ、基本的には『責任の所在』という観点から組織を見た場合は大抵非常に明確だったように思える。チーム表彰なども当然あるが、基本的には最終責任は誰が負うかは明確。だから給料格差があるし、何か不祥事が起きれば特に最終責任者が退任するとか減給するとか責任を取ることになる。もちろん成功を導きだせば昇格につながる。根本的に立場が責任と直結している。だから日本企業の不祥事の際にトップが辞任しないことは『意味が分からない』とコメントされる。(正直日本人でも意味が分からないと思っている人も多いと思うが。)そう考えると、日本の立場主義は主義・主張だけであって、現実にはとても緩い気がする。

週末に複数の日系ビジネス誌を読み漁って少し最近の話題などにもキャッチアップしたが、社内の変革を進め大きく変わろうとしている企業や有望なベンチャー企業も多くある一方で、未だにこんなことがあっているの?と正直びっくりするような話もある。オリンパスにしても野村にしても津波後の対応にしても、悪い話の方が海外で取り上げられやすいのが残念だなあと思う。

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※1)多少余談だが、上記の『イギリスなんか特に、専門家に対する評価は低い』という点は若干気になった。3.11の津波の際の日本の原子力事情に対して、原子力に頼らない割には欧州で最も冷静な論調だったのはイギリスだと個人的には考えている。素人が科学者の意見を聞き、冷静に判断しておらず、感情論に走っていたとしたら、もっと違う反応だっただろう。その他、国営放送であるBBCWORLD SERVICESへの評価が高いのも、同社ジャーナリストのレベルの高さに加え、事実に基づき客観的に判断したいという土壌が少なからずあるからではないか、と思う。

※2)欧米とはいっても国によってもかなり企業文化は違う。個人的な経験では『社内における弁論の自由』という観点では、オランダが一番フラットだった。『上司にどんどんモノ申せる奴は昇進する』とオランダ人の先輩も言っていた。私はオランダからアメリカに転勤したので、オランダ文化を持ち込んでしまい、直接的な物言いとノーという部下として多少アメリカ人上司に引かれたことを覚えている。


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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。

2012年11月16日金曜日

『活路を見出す』と考える


【今回のテーマ:『活路を見出す』と考える】


最近、日本人以外の人に就職相談をされることが増えた。といっても理由は日本人が周りにいないというだけ。新しい仕事を見るける時の悩みってどこにいっても似通ったものだなあ、なんて思いながら聞いている。

そういえば、日本人の友達からも『そもそも、なんで新しい土地にフラッと来て、すぐ仕事が見つかるんですか?』とも聞かれた。

まず、『フラッと』、というところは訂正したい。失礼じゃないか、君。

…ということではなく、そもそもフラリと来ても仕事を探すのは難しい。少なくとも何らかの形で滞在許可を持っていない限り名目上は仕事探しが出来ないことになっている国が多く、人材派遣会社などは紹介してくれない。そうなると自力で応募していくことになるが、滞在目的が明確ではないと、『コイツはすぐ辞めて国に帰るのではないか』などと疑いの眼を向けられるからだ。

次に、『仕事が見つかる』という点だ。『仕事、見つかったよ~』と私自身もよく言っているが、実は仕事は『見つかる』ものではなく、能動的に『見つける』ものだと思う。

なので正しい質問は、『新しい土地に来て、どうやって仕事を見つけたんですか?』だと思う。

『その違いがそんなに重要なんですか?』と反論したくなるかもしれないが、私は結構重要だと思う。特に後半部分。

個人的には『仕事を見つける』という表現より、なるべく『活路を見出す』という表現で就職(転職)活動を捉えるようにしている。仕事を見つける、という表現をしている限り、ついつい流されやすい私は買い手の視点に合わせてしまうことが多い。でも『活路を見出す』と考えると、軸が自分となる。

活路を見出すというのは自分探しに近い。ただ、自分探しは『私とは誰か?』という自己分析に留まるが、『活路を見出す』という表現を使いはじめた時に『ではその私を持ってどの方向に進んでいくか?』と、下を向いて考えていた自分がふと顔を上げて先を見る姿が浮かび上がる。

そういうことを書くとあたかも私が就職(転職)のプロ、成功者であるように聞こえるかもしれないが、そういうわけではない。最初からそう捉えられたわけでもないし、失敗もする。周りを見ていると、正直、一番効率がいいのは日本で最初から外資系企業に就職し、日本国内の外資市場を転々とするのが最も給料は上がるような気がしてやっかんだりもしていた。

海外市場を飛び回ると、待遇面でも各国市場でのアジャストメントが多少なりとも入るので非効率なところがある上、国境を超えると、『How are you and who are you?』の連続で、いちいち最初から自分のストーリーを語らなければならない。最初はそれがものすごく面倒だと思った(なんせ面倒くさがりで)。でも、そのうちだんだん口が慣れてくるというか、『practice makes perfect』で、ストーリー展開がうまく出来るようになり、特にあれこれ突っ込まれずに『へぇ~』と納得してもらえるようになる。そうなってきたら、自分の過去の道路整備が出来た、と考える。

そうなると次はどこに目的地の旗を立てるか。まあ、現代的に考えるとすると、GPSにどのアドレス入力するか、となるのだろうが、実際はそこまで正確に次を特定出来ることは少ないので『旗メタファー』が一番合っている気がする。

ヒラヒラと△の旗が向こうに見える。そこまでのルートとしては、直線だがイバラの道、距離的には迂回するが平坦な道、丘を越える道、などと選択肢は複数。途中には危ない橋も。でも『備えよ、常に』(by ボーイスカウト)の精神で少し先を確認しながら進めば、多分どうにか様々な試練も乗り越えられる。

そして時々ちゃんと後方も確認しながら進むと、当時は『嫌な上司に適当に合わなければならぬ、嗚呼この辛さ』と見えた試練も、実は『部下を無駄な不調和音から守るための自己犠牲の訓練』だったと見えるかもしれない。あれだけキーキー腹を立てていた状況も自分の肥やしになるんだなあ、と、当時はうまくやれなかった上司にも感謝、感謝。

…なんて、大して偉そうなことを言う資格は特にない。キャリア的にもまだまだこれから、というところ。自分自身もいつもすべての状況にベストな形で対応出来る訳では決してない。ただ、各種イバラの道は通り抜けているとは自負している。

私が海外の大学院を卒業する時、周りの日本人全員が『絶対無理』『日本人が海外でトップ企業なんか勤められない』『まだ若いから日本に帰った方がいい』と言ってきた。ほとんど反骨精神で『じゃあ誰かがやらないと…』と私は残ることにし、あがいて(溺れかけて)いたところ、Fortune 10の米大手企業に拾ってもらった、という経緯がある。

それがベストな道だったかは多分一生分からないが、道は拓けた。善し悪しは別として、波瀾万丈、スリルやサスペンスには事欠かない道であったことも間違いない。だから何かをやろうとしている人には『無理』『辞めた方がいい』とは言わないようにしている。私ももっと経験を積んで、『この辺を通ると楽でっせ』ともう少し具体的に応援してあげられたらいいな、と思っている今日この頃。


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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。

2012年11月9日金曜日

Sayonara to the corporate life


 A+S Project『気になるあの記事この記事』は、スタッフが面白いと思った記事や情報をまとめ、軽~いトーンでコメントや感想、考察を書いているもの。

そういうご理解で読んでいただき、関心を持たれた方は関連記事や原文にもアタックしていただければと思います。 

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【気になるあの記事この記事】
大企業にサヨナラ、日本のアントレプレナー

記事の紹介
タイトル:Sayonara to the corporate life
出典:Financial Times (November 7, 2012)
原文:英語


(あくまでもこの記事だけを読んでも理解できるよう、内容を簡単にまとめ編集してある点、ご了承ください。一語一句正確に知りたい方は是非原文にチャレンジしてください!)

2007年、日系では最大手のコンシューマ機器メーカー、パナソニックを退社した岩佐琢磨氏は、東京でコンシューマ機器メーカーCerevo社を立ち上げた。大手メーカーでも厳しい状況の中、である。『特に不安は感じていませんでした』と34歳の彼は語る。会社名はConsumer Electronics Revolutionを省略したもの。自分自身のことを『楽しく挑戦を感じられることをやらないと駄目なタイプ』という彼は、長めの髪とオシャレな眼鏡という格好で、自社オフィスの角際でもつれたケーブルや機器の詰まった段ボール箱に囲まれている。いかにもアントレプレナーといった印象だ。

岩佐氏のように、毎月の給料を手放し、大手企業への所属を評価する社会的傾向を押し切って独立するアントレプレナーは日本では未だ少数派だが、本当にやりたいことに取り組むことによる刺激や満足を求める人の数は増加してきている。個性や自信を全面的に押し出す姿勢も、チームワークや和を尊重する日本社会では未だに珍しい。

濃い色のスーツと滑らかなネクタイという装いの遠藤直紀氏はファッション業界関係者と見間違うばかりだ。現在38歳というが、2000年にアンダーセンコンサルティングを退職した際は何をすれば良いか分からなかったそうだ。しかし『情熱を持てることをしたかった』と彼は言う。結果、顧客行動分析に基づいたウェブサイトデザインを行うbeBit社を2003年に創業。

現在29歳の八木啓太氏は、富士フィルムを退職後、東京と富士山の中間地点の小田原市でBSize社を設立。デザイン性が高いだけではなく機能性にも優れるコンシューマ機器の製造販売を行う。高校時代、アップル社のスティーブ・ジョブスに強く影響された、と物腰の柔らかい彼は語る。

日本の新世代アントレプレナーたちは、大手企業での雇用の保障よりも『やりがい』を重視する傾向が強い。大手企業で勤務をすることの方が起業よりもリスクが高いと言う者さえいる。日本の大企業はジェネラリストの育成を中心としており、社外でも即戦力となるスキルを身につけることが難しいからだ。『短期的には大企業の方が雇用の保障はある。しかし、もし倒産でもした際には頼ることができるものがなくなってしまう。長期的に考えると、どこででも戦力として使えるスキルを身につけていくことの方が雇用の安全につながる』、と遠藤氏は言う。

岩佐氏はパナソニックへ入社した頃は独立して起業することなど考えていなかったという。しかしYouTubeが流行りはじめたころ、インターネット接続可能なテレビの開発を社内で提案。しかし上司に時期尚早と却下されたという苦い経験を持つ。この一件により気づきがあった。パナソニックは既存のテクノロジーをベースとした開発には長けているものの、自分がやりたいと考えているような新しいプロダクトカテゴリーの開発は不得意なのだ。

彼は今、Cerevo社で10名の社員と供にインターネット対応デバイス『Live Shell』などを開発・製造・販売している。Live Shellを用いれば、デジカメで取った(コンピュータを介することなしに)動画を直接インターネット上でストリーミング配信ができるという。すでにベンチャーキャピタルから2ラウンドで計3億7000万円の出資を受けている。Inova、Kronos Fund、Inspire、Neostella Capitalなどの日系ファンドが主要投資家だ。

大企業によるコスト削減やリストラが日本の若者の起業の追い風となっているという。八木氏の会社には、現在パナソニック勤務している高校時代の友人が加わることになっている。『コスト削減ばかりを命じられて、仕事がつまらなくなってしまった』らしい。

すでに生活水準は高いこともあり、日本人の間は、物欲よりも健全な社会構築への貢献意欲が高まっている、と、ベンチャービジネス育成に携わる日本ベンチャー学会の田村万里子氏はいう。昨年の津波災害の後、家族や地域のつながりの重要性が再認識され、特にこの傾向は強まっている、という。『若者の間で社会貢献を希望する人が急増している』と田村氏は言う。

『人は世界をより良いものにするために働くべきだ』と遠藤氏も言う。『何よりもまず利益の追求、という思考は世界を滅ぼすと考えている。』ヘンリー・フォードや松下幸之助など、世界を代表するアントレプレナーたちはこのような考えのもとに起業したという。『単に楽しみのために起業した人はすぐ辞めてしまうが、よりよい社会を作ることを目指す人は簡単にはあきらめない』と彼は語る。

八木氏は社会貢献へのコミットメントからベンチャーキャピタルからの出資を断ったという。『利益追求型のビジネスモデルを投資家から求められても、それは自分の意志に反する』というのが理由。しかしベンチャーキャピタルの出資なしにbeBit社は78人のフルタイムスタッフと20名のパートタイムスタッフを抱える規模にまで成長した。住友三井銀行、ホンダ、ネスレなどの大手企業を主要顧客に持つ同社は、10億円を超える資本金を持ち、台湾に海外初の支社をオープンした。

これまでの日本では、アントレプレナーを取り巻く環境は厳しいものだった。金融セクターはリスクを嫌う上、日本は文化的にも失敗に寛容ではない。しかし政府はスタートアップ企業へのサポートを強化し、低金利の融資や融資保証を提供するようになった。八木氏はBsize社設立にあたり、政府系金融機関から2000万円の融資を受けている。

しかし最大の環境の変化としてはインターネットおよびオンラインサービスの普及が挙げられる。これらツールを活用することで、資金の少ない中小企業にとっても事業展開のバリアが大幅に軽減された。岩佐氏はSkypeなどのオンライン通話サービスやFacebookを利用したマーケティングなど、オンラインでの無料サービス増加が特に起業を後押ししているという。『Facebookを活用したマーケティングは、世界中で簡単にプロダクト紹介が可能であり、非常に効果的』という。オンラインで商品販売を行う八木氏もこれ同意する。『これまでブランドを確立するのは非常に難しかったが、ソーシャルメディアの力で大手と競合することが可能となった』。


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【ここからがA+Sのコメント!】 

一昨日、有名ブロガーのちきりんさんと人事コンサルタントの城繁幸さんのしばらく前の対談記事、『大企業の正社員、3割は会社を辞める』(下記『関連リンク』にURL挿入)をたまたま読んだ後だったので、今回は英大手新聞ファイナンシャルタイムズで日本の大企業離れに関する記事を紹介することにした。ファイナンシャルタイムズは日本の企業文化に関しては特に批判的な記事が多いという印象があるが、今回は日本のアントレプレナーにスポットを当てた内容だ。

企業勤務経験なしに自分で事業を起こす人もいると思うし、今回取り上げられていた3名のように、大手企業での勤務経験を土台に起業するというパターンもある。ちきりんさんと城さんの対談でも、『今後、給料カーブの頂点が40歳ごろで600万円レベルという時代になれば、大企業勤務の社員の3割は会社を辞めるのではないか。特に優秀な人ほど、やってられない、と外へ飛び出すだろう』というコメントがあった。

本当にそうなって行くとしたら(個人的にもそうなると思う)、労働市場の流動性が重要になると思うが、でも、よくよく考えると、日本の外資系企業での労働市場ではすでにそれが達成されていると思う。2、3年で会社をどんどん変わって行く人は多い。なぜ外資系市場ではそれが達成されているのか?と考えた時に、実はホワイトカラー層の仕事が中心だからなのではないか、と思った。海外の企業にとって日本は製造拠点ではない場合が多いため、メーカーでもセールス、商品企画、輸出入管理、経理、IT、人事などの職務が中心。特に中途採用が中心の外資企業(かなり日系化している企業もある)では、そもそも新卒で入って来た社員はほとんどいないので、職歴と経験を売りに人が流れ込んでくる。

ただ、一歩下がって考えてみると、日本企業も製造拠点はとっくの昔に海外に移転しているため、随分同じような構造になりつつあると思う。ただ、発想においては全体的に以前の『製造業ありき』の在り方を引きずっているように思える。もちろん製造業が悪いと言っているのではない。日本の技術力の高さは国の強みだ。外から見ていると日本は少ししぼんでいる気がするが、まだまだ世界でも生活水準はトップレベルであることを国民が忘れているように思える。だからこそ、競争力を維持し高めていくためにも変化が必要なのではないか、と思う。

少し客観的に考えれば、今後の日本へのヒントはいろいろなところに隠れていると思う。変化の時期は個人レベルでも国レベルでも多少の思考錯誤は必須だ。大変な時期ではあるが、そろそろ『失われた○年』というのは辞めて、『取り返しに行く元年』と皆が言い始めればいいのにな、思う。


注:『海外ではああだ、こうだ』と私も時々言っている際に気をつけなければならないと思うことがある。それは、一般的に欧米においてもスキルを持ってファンクショナル・スペシャリストとしてどんどん転職している人たちはホワイトカラー層であるという点。それ以外の層の職業観はそれとはかなり異なり、例えば親子とも同じ工場で働くなどということもある。会社や土地への縛りがより強い傾向があることは事実だ。


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【関連リンク】 

日本ベンチャー学会:http://www.venture-ac.ne.jp/

ちきりんx城繁幸の会社をちゃかす(1):大企業の正社員、3割は会社を辞める
(ビジネス誠 2011年5月6日付掲載分)


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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。

2012年11月7日水曜日

転職しないでいい状況に賛同するとしたら


【今回のテーマ:あえて転職しないでいい状況に賛同するとしたら】

一度以前紹介したことがあると思うが、村山昇さんという人財教育コンサルタントの方のブログを読ませていただいている。一部読めていなかった時期があったので少しまた読みあさりさせてもらっているが、その中に『転職を考えるとき』という4回のシリーズ記事があった。

「転職」を考えるとき〈1〉~栄転と流転の分岐点は
「転職」を考えるとき〈2〉~現職を「卒業する・去る・逃げる」
「転職」を考えるとき〈3〉~転職のリスク
「転職」を考えるとき〈4〉~転職は会社への裏切りか
(各記事へのリンクは最後の関連記事に掲載)

テーマを見るだけで、日本での転職に対する見方を垣間みることが出来る気がする。『転職は劇薬である』『認識すべき6つのリスク』という表現などから、改めて、日本人はとても変化を恐れる国民なんだなあ、と感じてしまう。(特にこの村山さんのブログでは言葉をとても丁寧に選んであるという印象が強いので、だからこそ、そのインパクトを感じてしまう。)

先日少し仕事探しについてコメントしたように、欧米に住んでいると、特にホワイトカラー層では『転職』は日常茶飯事であり、上記とは全く感覚が違う。基本、栄転でも流転でも転がる方がいい、と考える人の方が多い。そもそも会社への裏切りを感じる前に、恩義すら大して感じていないドライな関係であることも多いので、あくまでも契約やコミットしたことにパフォーマンスが見合ったか否か、という客観評価もドライに行われる。

と書くと、私が転職賛成派として意見をツラツラと述べるに違いないと構えた方もいると思うが、とはいっても、当然大規模リストラは様々なドラマを引き起こす。泣いたり、怒鳴ったり、、、そういうことも起きるわけだ。逆にこんなリスクや劇薬をある程度回避できる状況がどれほどありがたいかについて考えてみようではないか、というのが本日の内容。

①安心して居座れる場所がある。
『本当はこの会社のサービスに興味がない』『もうやりたいことがない』『先が見えない』などと、同い年ぐらいの日本の友人の口からため息と同時に漏れる言葉だが、正直、相当の失敗をしない限り会社から見捨てられることはないというのも事実だ。アメリカで働いていた時、社員の3割がリストラになる状況を間近に見た身としては、まずは安心して居座れる場所があることをありがたがった方がいいのではないか、と思う。

②最初やったことが合わなくても社内異動で軌道修正ができる。
『総合職』という非常に曖昧なスタンスでリクルートされ、個人の意思は鑑みられつつも多くの場合は会社の人事主導で次の配属先を決めると聞く。強い意思を持たずとも、自動的にいろんなことをさせてもらえるということだ。最初の配属が合わない場合も次に部署異動を希望すればいいし、数年かけながら低いリスクで異動し続けることも可能。複数の部署から自社を見ることができるというシステムにはメリットも大きい。

③人的ネットワークが全く無駄にならない。
基本的にあまり人が動かない環境であれば、時間をかけて(時には無駄にしながら)構築した社内ネットワークが無駄にならない。しかも社外でも基本流動性がある程度限定的である環境であれば、同じことが言える。日本でLinkedIn利用者数が少ないのはそれが理由だろうか。私の場合、周囲で人が動きすぎるのでこのようなツールがないと正直誰がどこにいったかもはやトラッキングできない。せっかくあの会社とコネが出来たといっても、『え、もういないの?』となる始末。先方がお金を取る方(サービス提供者)の場合は引き継ぎがなされているが、逆の場合は引き継ぎも適当であり、最終日に『それではお元気で』とメールが来るだけだ。

欧米などファンクショナル・エクスパートとして自分のスキルを会社に提供する、という発想が中心の雇用市場においては、逆に大胆に動くことが後々不利にもなりかねない。最初何をしたかにその後大きく左右される。だからMBAを機にキャリアチェンジを目指す、というのも主導だが、最近ではキャリアチェンジの難しさについてもよく耳にする。

先ほど少しコメントしたが、私も米国時代に勤めていた会社が大幅にリストラを行った。そもそもグループレベルでは解雇は比較的日常茶飯事だったため、グループ内他社から来た私は『当然そうなっちゃいますよね』と正直そこまで驚かなかった。しかしこのグループ企業のみがこれまで一度も大規模リストラを行っていなかったため、社員3割が解雇の発表があった際はとても大変な騒ぎだった。(ちなみにそれは米国事業で、欧州事業も15%の社員削減。)

その際、セールスとマーケティングの社員が全員呼び出され、数人のマーケティングリーダーと私の上司の上司が現状について報告をした。他のリーダー2名は『いつか状況は好転する。Be courageous. bla bla bla』とその時の心境として最も聞きたくないことを話したが、ちょっとダニエル・クレイグっぽい私の上司の上司は次のように言った。

Listen, we all know this sucks. But go out there. Find a new position. That is the only way to survive this crisis. Go for something even if it is below your current position. The reality is that, when you are going through this type of crisis, you have to be ready to take a position for which you are overqualified. That's life. It may take you a few years to recover and get back even to where you stand know. But don't be afraid. Go acquire new skills. Challenge yourselves in a new environment. Learn about new industries. For those who live the coming two or three years as best as you can, I can assure you that you can come back as a more complete professional.

言うなら本当のことを言ってほしい、というのがその場にいた社員が思っていたことに違いない。会場の空気が少し変わった気がした。セットバックをどう生きるか。私にとってもこの正直なコメントはよくぞ本当のことを言ってくれた、ととても印象的だったので一生覚えておこうと思った。

でもセットバックばかりでは正直疲れる。安定だって悪くない。あとはそこで何を自分の命題としてやっていくか。劇薬を飲む前に、まずは今いる環境で何か出来ることはないかを考えてみてはどうか。自分で作れる変化はないか。

今日はもう水曜日。週末が見えてきた。今日も一日、がんばろう。


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【関連記事】

村山昇さんのブログより
『人財教育コンサルタントの職・仕事を思索するブログ
知平線の向こう ~明日の働く景色がみえてくる』

「転職」を考えるとき〈1〉~栄転と流転の分岐点は

「転職」を考えるとき〈2〉~現職を「卒業する・去る・逃げる」

「転職」を考えるとき〈3〉~転職のリスク

「転職」を考えるとき〈4〉~転職は会社への裏切りか

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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。

2012年11月5日月曜日

いい仕事に出会うために考えること

【今回のテーマ:いい仕事に出会うために考えること】

しばらく前にダウンロードしていたKnowledge@Whartonの記事『Why Good People Can't Get Jobs: Chasing after the 'Purple Squirrel'』(出典は参考リンク参照)という記事をコーヒーを飲みながら読んでいた。(余談だが、コーヒー好きの私には、朝のこの時間が至福の時。)

ペンシルバニア大学のビジネススクール、ワートン・スクールのPeter Cappelli教授が書いた『Why Good People Can't Get Jobs: The Skills Gap and What Companies Can Do About It』という本に関する記事だ。実際読んでいない本について語るのはいかがなものか、とは思いつつ、記事で紹介されている内容としては、以下のような内容である模様。

『多くの会社が「人を採用できない、スキルを持った人材がいない」と言っている。しかし、そもそも採用プロセスは会社側が握っており、空いたポジションと同じことを他の会社でやっていた人を見つけようとすること自体に無理がある。経験者ばかりを求める傾向があるが、経験は仕事をしないでは得ることができない。また多くの場合はスキルギャップではなくトレーニングギャップも大きな問題。』

比較的ジュニアの採用についての部分がもしかするとこのインタビューではピックアップされているかな、という印象を多少受けたので、全体のメッセージではないかもしれない。そこは本を読んで穴埋めするとしても、しかしこの記事に書かれていたことには全般的にはうなずけると思った。

例えば、大手企業である場合はよく社内公募も同時に行うことが多いので、ジョブスペックもすでにその分野のエキスパートである上、社内プロセスらしきことの熟知していることが条件として挙げられている場合も結構ある。それじゃあ外部の人間には難しいだろう。

とはいっても受ける側の準備という点で、私も採用する側として個人的に気になっていた点が2つある。(比較的若手の人が多いが、そうでもない人でも時々見られること。)

①意外にも面接しているポジションのジョブスペックを理解していない人が結構多い。
基本はジョブスペックを見るとだいたいのポジションイメージが出来るが、そうでもない人も多く面接に来る。スキルや経験面、あるいは今後取り組みたい関心分野と合致する場合、ジョブスペックを見ると『あ、6割が経験で対応可、4割は新たなチャレンジ』など、すでにやってきたことでカバーできる部分がだいたいどれぐらいか、というのは分かるはずだ。しかし驚くことに、ポジションタイトルだけで勝手に職務内容を決めつけている人も少なからずいる。

②これまた意外にも自分がやってきたことが、一般的にはどういう職務内容であるか言えない人がいる。
(私は基本マーケティング分野で働いてきたので必ずしも他部署でも同様のことが言えるかは分からないものの)人の履歴書を読んでいると、ポジションタイトルと職務内容の擦り合わせが案外といい加減な会社も多いんだなあ、感じる。
履歴書のポジションには違うタイトル(例えば『マーケットリサーチャー』)が書かれていても、職務内容的には『これって、プロダクトマネジャーということですよね?』というと、『あ、はい、そうです』と驚きつつも同意する人もいる。
実はこれも結構問題だと思う。自分がしてきたことが一般的には(自社以外では)なんと言うポジションであるかを知らない、あるいはうまく補足することで分かりやすく表現するなどの配慮がない、というのは、受け手からはプロ意識の欠如と取られてしまう。
もちろんタイトルの詐称やインフレーションというのは良くないが、逆に、タイトル的には何だかよく分からなくても、例えば『一般的に経営企画と呼ばれるポジションに近しい職務内容でした』と言うだけで、採用側はピンとくる。同様に、ひとつのポジションでも複数の機能をこなしている場合なども、このように○○が何割、△△が何割、と言うだけで分かりやすい。

少なくとも上記2つが理解できていなければ、どこまでを経験でカバーできて、どこからが『ポテンシャルの売り込み』となるかが最初の面接の場で双方にとって明確にならない。そこが明確にならなければ、企業側も『やめとくかな~』となる。不景気など、買い手市場である場合は確かに採用される側には厳しい状況であるのは間違いない。特に職場経験が浅い人たちの場合は『ポテンシャルの売り込み』の部分が大きいので、業界知識や必要なスキルをまずはどこまで『理解』しているか、という部分が重要。一見すると関連性のないことを、どうやって関連付けるか、意味付けを与えるか。『経験はないけど基礎力、理解力はあります』、そこをアピールすることになる。

加えて最近若手の人にアドバイスするのは、まずは『教育意欲が高い会社に入社する』こと。あと、『きちんとしているな』と感じる会社に入ること。正直、何の新しさも個性もないアドバイスだ(汗)。でもとても重要だと思う。OJTOJTと言う会社ではなく(運悪く見本になる人が少なかったら困る)、ちゃんとトレーニングバジェットがあるとか、プログラムがある企業がいい。規律正しい、クリーンな環境をまずは知ることは、もし起業したいと思うような人にもプラスになると思う。

特に海外で会社員をして行く人にはそこにこだわることが重要だと実は考えている。日本のように総合職が多い場合は、同じ時期に入社して、同期と呼ばれる人たちがいて、みんなで(最初は)仲良くスタートできる。上、下だけではなく横のつながりがあるというのは心強いし、重要な社内ネットワークでもある。ただ、海外市場では、基本ライファー(ひとつの企業でずっと働く人)を育てるという意識はない。だから自分自身で選んだ分野で戦って行くことになる。部署異動というのも確かに大手企業ではあるが、キャリアアップにどんどん転職していく場合、売りは自分のスキル。最近は私も自分のマインドセットを変えるため、自分自身を(会社勤めしたとしても)特定のスキルや経験を売るフリー・エージェントと考えるようにしている。その方が自分を『○○社の社員』と考えるより実は現実に近いからだ。

そして最初はスキルと経験を売って行くわけだが、30過ぎてマネジャーポジションになると、『しかも信用できる』という印象を与える必要がある。プロとしての意識、『しつけ』のようなものを早い段階で得ることが、将来的にどんどんフリー・エージェント化していく自分のキャリアの土台となる。その後は、それぞれが与えられた機会にかぶりついて、得られるものをすべて吸収していこう、と土臭く思えるか。もう知っている、やったことがある、と思う分野でも、そこに『価値』『意味』を見つけられるかが多分吸収率につながるのだろうと感じている。

もちろん、上記のことは海外市場で限ったことではないが、海外で、しかも日系ではなくローカル企業(日本で言う外資)で働こうとするのであれば、かなりの独立心が前提とされることは間違いない。

なんだか話がずれて、『Why Good People Can't Get Jobs』ではなくて、『Why People Can't Get Good Jobs』になってきたが、『自己ブランディング』などのテクニックに関する情報や記事が多い中で、『自分の立ち位置を理解する』『スキルだけではなく人間力を磨く』ということもいい仕事に出会って行くには合わせて重要だな、と最近強く感じている次第。



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【関連記事】
Why Good People Can't Get Jobs: Chasing after the 'Purple Squirrel'
(June 20, 2012; Knowledge@Wharton)

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無断での転記引用はお断りしています。

2012年11月3日土曜日

Actually the World isn't Flat

【気になるあのビデオ、このビデオ】
世界はまだまだグローバルじゃない

ビデオの紹介
タイトル:Pankaj Ghemawat: Actually, the world isn't flat
出典:TED (Filmed in June, 2012)
原文:英語


(あくまでもこの記事だけを読んでも理解できるよう、内容を簡単にまとめ編集してある点、ご了承ください。一語一句正確に知りたい方は是非原文にチャレンジしてください!)


『国境を超えたインテグレーションはほぼ完了したと言えるレベルに到達しており、私たちはひとつの世界に住んでいる。』このような考えは、プロ・グローバライザー(訳注:例えばコラムニストのトム・フリードマンなど、グローバル化推進を唱える人や団体)、そしてアンチ・グローバライザー(訳注:グローバル化に反対する人や団体)両方が受け入れている見解だ。

しかし、実際どれぐらいグローバルな世界に我々は生きているのだろうか?関連データを集めて実証することが現状理解に近道だと私は考えた。しかし、国際電話の利用は音声通話全体の2パーセント、世界の人口における移民第一世代は3%、海外からの直接投資も投資全体の10%にも満たず、GDPを占める輸出の割合も20%程度なのだ。

現状は世界はすでにひとつとなっていると言うにはほど遠い状況であるにも関わらず、一方で、世界各地でアンケート調査を実施しても、3倍も4倍も誇張されて『グローバル化』が認識されている。

なぜそのようなことになるのだろうか?

1点目にデータの欠如が挙げられる。数年前、私が初めてこれらのデータを論文("Why the World Isn't Flat")で発表した際、(グローバル化を提唱する)トム・フリードマンは私のデータ収集の狭さを指摘した。しかし、驚くことに、彼の700ページにも渡る著書("The World is Flat")にはひとつもデータが提示されていない。データがないままグローバル化という言葉だけが先走りしているのだ。

2点目に、ピアプレッシャーが挙げられる。"Why the World Isn't Flat"という論文を発表したきっかけは、インド・ムンバイでのテレビインタビュー。その際、インタビュアーに『教授はなぜ今でも世界は(フラットではなく)丸いと考えているのですか?』と、まず最初に聞かれた。あたかも『なんてかわいそうな教授だ、ずっと部屋に閉じこもっていたから現実を知らないのだ』、という同情を向けられたかのようだった。そこで、『これではまずい、この考えについてきちんと説明をする必要があるな』、と考え、この論文をまとめたというわけだ。世界はフラットではない、と言えば疑いの眼を向けられる一方で、『世界はひとつ』、と言うと周囲から同意を受け入れられる、これも現実だ。

3点目に、テクノロジーの進歩が誇張されすぎている点。例えば、Facebookを利用すれば、確かに世界の裏側の人とも簡単に友達になれる。が、実際に他国の友達が占める割合は10~15%程度だ。自国のみで生きているとは言えないが、まだまだグローバルとは言いがたい。テクノロジーは既存の人間関係に重なる形で利用されているのみなのだ。

グローバル化はまだまだこれからであるというのに、すでに世界はひとつだ、と主張するようでは、今後の更なるグローバル化の試みを停滞させてしまうことになりかねない。実際はどの程度グローバル化が進んでいないか、現状を正確に理解することで、世界レベルの公利への貢献に今後どのような取り組みが可能かを把握することができるはずだ。

また、過度の誇張を是正することは、グローバル化に対する危惧を軽減することにもつながる。例えば、フランスでは移民規制の是非について議論があるが、フランスでの移民の割合はおよそ24%ということになっている。それは本当だろうか。実際は8%程度だと理解すれば、過激なレトリックも通用せず、議論の方向性も代わるのではないか。米国では、Chicago Council on Foreign Relationは国際援助に関する国民の認識についてアンケート調査を実施したが、結果は連邦予算の30%程度が国際援助に割かれていると国民は認識しているという。だが、実際は1%程度だという。認識と現実には大きな隔たりがあるのだ。

OECD加盟国による国内貧困層へのサポートと、海外の貧困層へのサポートの比率は3万対1の割合という。もちろん、われわれが本当にグローバルでコスモポリタンであるとしたら、この比率は1対1であるべきだ。ただ、もしこの現状が改善され、この比率が1万5000対1のレベルになっただけでも20年前のリオサミットレベルに到達したレベルであるのみだ。どれだけ我々はまだ外に閉じているかを理解すれば、更なるオープン化による改善がどれほど期待できるか見えてくるだろう。

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【ここからがA+Sのコメント!】 

ネタ探しに久々にTEDのビデオを見ていた。ポータルでは毎日のように新しいビデオがアップロードされているのでいつ訪れても学びがある。最近では翻訳プロジェクトも行われており、時々日本語のスクリプトがあるビデオもある。隙間時間活用向けとしては最高のポータルだ。

今回紹介したビデオで、スペインのトップビジネススクール、IESE Business School(イエセ)の教授、Pankaj Ghemawat氏は、グローバリゼーションの程度は誇張されすぎているという見解を共有。もう少し現状を正しく受け止め、まだまだグローバル化の加速の可能性があることを認識することが重要なのではないか、という。同氏の著書、『World 3.0』も面白そうだ。

確かにGhemawat氏が言うようにグローバリゼーションは誇張されていると個人的には強く同感する。現時点では国や会社レベルで自国と『外国』がどう付き合っていくか、という切り口が中心で、人やモノが世界を駆け巡る時代、というにはまだまだだ。ただ、同時に、このハイパー・グローバルな数パーセントがグローバライザー(グローバル化推進)として持ちうる影響力は計り知れない。数パーセントの動きが、周囲に対し実際よりも3~4倍のグローバル化レベルを感じさせるとするならば、なんてパワフルなんだ、と思うわけだ。そういう意味で、現状は正しく理解しながらも、グローバライザーの動きも注目に値すると個人的には考えている。

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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。