2013年10月24日木曜日

【個として飛び出すグローバル】『グローバルに活躍できる子供を育てるには?』という質問について考えてみる②

(前回につづく…)


少し話を戻して、グローバルに活躍するためには、大人になったときにどれだけ思考回路や文化的価値観を理解し、違いを見抜けるか、ということなのではないかと思う。ただ理解したり見抜けるだけでも多分60〜70点で、そこで共存していくには、共通項を見出だしていけるか、という事になるのだと思う。

『じゃあ親としてどうすればいいのか?』と聞かれる。そんなこと私に聞かないでもっと専門家に聞いてほしい、とも正直思うが、自分への反省点も含めて私が親になるまでにやりたいこと、という観点でいくつか以下に挙げる。


①親としてもっと世界の価値観を知る。

日本では『外国=アメリカ』というぐらいアメリカの影響が非常に強いと感じるが世界は広い。だから、例えばアメリカ帰りの研究者の本ばかりではなくてアジア研究者、中東研究者や欧州研究者など、幅広い人の意見を読んでみるというのがてっとり早い。
この本や記事はどういう経歴の人が書いたのか、ということを少し意識してみると、これも面白い。

例えば、小論文の書き方で本で『これはいい!』と思う本は、しばしばフランス文学者に書かれたもの。それはフランスがディベートの国で、フランス(あるいはヨーロッパの)の文系の高校生は哲学の授業を受け、『笑いとは』『生きるということ』というような日本人に言わせれば『マジですか?』というテーマで論文を書かされる。そういう事を知っている日本のフランス文学者は、こういう大きいテーマで議論できる日本人を育成したいと切に願うのではないだろうか。

もっと熱心な勉強家の人は、ギリシャ哲学、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などや歴史本など、もっと価値観や世界観の源泉となっている宗教観や哲学に関する本を読むとよいと思う。あるいは小説が好きな人は世界文学全集を読むとか、楽しみながら文化に触れることもできる。


②親として、もっと日本を理解する。

歴史、文化に加え、日本的発想を理解し、子供に不意打ちで質問を食らっても(笑)説明ができる。日本人は日本の事を知らない、と外国では言われるし、私自身もなんて無知なんだと自分に嘆いてしまう。『グローバル』に関わるテーマを研究する方たちも自国を知る事の重要性を説いているので、これはやって損はない、絶対間違いないと思う。

ただ、日本文化を理解するというのでも、日本の本を読んでいると正直きりがないと思ったこともある。どれを読んでいいか分からず、本屋をうろうろしてしまうという方に個人的におすすめできるのは、ライシャワーの『Japan: The Story of A Nation』。幼少を日本で過ごしたハーバード教授として名高いが、実はフランスの国立東洋言語大学(ラングゾー、Langues O')でも日本語と中国語を勉強するなど、いろんな角度から日本を研究してきた学者だと思うし、何よりも分かりやすいと思う。加えて、日本を知る外国人の多くがこの本を読んでいるので、『ライシャワーに書かれていたが』と言うと、『オー、私も読みました』とその土俵で話を進められるというメリットもある。


③子供に日本だけが活躍の場ではないとそれとなく教えてあげる。

私が外国へ出て行く抵抗感がなかった理由は、きっと両親が私が生まれる前にフランスに住んでいたことの影響はあると思う。『ふーん、この人たちでも外国に住めるのか』、と一気に心理的バリアは撤去された。でも親は別に特に『外に行け!』と言わなかった。というよりも、高校生のときに私が大学は米国留学するといったら全面拒否、学部レベルはダメ、お金は出さないと全否定。ふてくされた私は大学時代は空き缶を蹴っていたが、結局フランスでの大学院留学はサポートしてもらった。大人になった今では、その判断の理由が少しは理解できる。でも『行ってもいいんじゃない?』とオプションは頭にインプットしてくれたと思う。

でも外に出てみるか、と考えるようになった本当のきっかけは、小学生の時に外交官の子供だったスペイン人のおばさんに『あなたは世界に出て行くんだから(『行きなさい』、ではなく)』と常々言われたからだ。子供の頃、親の言う事なんてよく聞いてない。でも部外者の彼女は会うたびに小学生の私にそう言ってきていたので『あ、世界って別に普通に出て行けるものなんだ〜♬』と私も刷り込まれて、そのうちまんまと信じるまでになっていた。だから行きなさい!というよりも、オプションとして考えられる、『行ってもいいんじゃない?』と教えてあげるのがちょうどいい案配だと思う。別に海外に行くも行かないも、最終的にはその子の願いや夢によるものなのだから。


④英語以外の外国語を勉強させてみる、あるいは親が勉強してみる

もし語学的センスのある子供であるならば、中国語でもいい、フランス語でも、アラビア語でもいいと思うから、英語以外の外国語の基礎を勉強するチャンスを与えてみるのはどうだろう。語学は思考と深い関係性があり、基礎を知るだけでも、センスがある人は『こんな風に考えるんだ』、など、少し違うものを見始めると思う。親も語学を勉強していると、大人でも勉強するものなんだ、と押しつけではない形でツールを持つ重要性を何となく理解してもらえるかもしれない。(それにヨーロッパに来ると3カ国語話せる、あるいは理解できる人なんてゴロゴロいる。)


…などと、思う事を4つ挙げてみたが、勉強熱心な親である方からの質問が多いので、彼らの意欲に沿う回答をしてみた。正直、こんなつまらない記事を読むぐらいなら、世界の名著を読んだ方が良いとも思うが、参考になればこれ幸い。

2013年10月20日日曜日

【個として飛び出すグローバル】『グローバルに活躍できる子供を育てるには?』という質問について考えてみる①

長いこと海外生活をしている人は、きっとよくこう質問されると思う。

『どうしたら子供をグローバルに活躍できるように育てられるだろうか?』

私もそのような質問を受けることがあり、これまでは適当に『うーん難しいねえ、どうだろう』と答えていたが、最近しつこく考えを迫られることがあったので少し考えてみた。

まず、質問をよく理解してみよう。

『グローバルに』『活躍』とはどこを差すのだろう?

  1. 海外のトップ校を主席で卒業し、そのまま現地でエリート化する(ローカルあるいはグローバルエリート)
  2. 日本のエリート校を日本で日系企業に勤務し、海外転勤し本社に栄転する(日系大手企業のエリート)
  3. あるターゲット国、市場でスキルを生かして活躍すること(ローカルエキスパートを目指す)
  4. 複数か国に『流れ』ても平気な人になる(かなり漠然としているが、『結果グローバルノマド』)
  5. などなど
話をよくよく聞くと、多くの場合が1や2狙いであるようにも思えるが、それは自身が留学や海外勤務を経験している人からの質問が多いからかもしれない。同時に最近感じるのは『日本は将来どうなるか分からないから逃げ道を与えておきたい』という思いもあるようだ。

私自身よりもより参考になりそうな周囲の例を見て分析すると、上記3種類の中で活躍している人に関して確実に言えることがある。それは、海外で活躍出来る人は、日本でも確実に活躍できるタイプの人材であること。スキルがある、専門性がある、ノレッジがある、人望がある、人脈がある、馬力がある、ひとりでも努力できる、などなど。日本にいても必要な成功の要素がうまくブレンドされている方が多い。それは起業家でも、企業エリートでも、ジャーナリストでも、料理人でも言える。だから海外で活躍の前に、まずはそもそも活躍出来る人材を育てると考えた方が良さそうだ。

私は子育ての専門家ではないので、幼少期に英才教育を行うなど、そういう教育方針や理論の中で何が効果的なのかは分からない。これが一番効果的、というものがあるのかも分からない。

ただもう少し大きくなってからの事を考えると、中学生以降の留学はしないよりはする方が子供の世界を見たいという意欲を促進することになるとは思う。だからきっといいのではないかな、といつも言う。(ただ話を聞くととんでもないホストファミリーに受け入れられた語学留学の話も聞くので、教育面でも生活面でもきちんとした環境が提供される受け入れ先を選ぶことは重要だと思う。)でも早ければ良いとも限らないし、単に留学しましたと履歴書に書ける、というだけのものであればどれほど効果があるのかも不明瞭だ。

でも、そういうのは、tacticsに過ぎない気もする。

本当に活躍していくためには、自分が選んだ行き先で、どれだけそこに住む人たちの価値観や思考法などを理解しているかということだと思う。それを本で知識として習得するか、現地入りして肌で吸収していくかは人それぞれだが、根本的にはそれが出来る人が活路を見出していけると思う。

こういう話を読んだことがある。(本のタイトルは忘れてしまい、メモを取っていなかったので詳細は多少あやふやだが、ポイントは理解してもらえると思う。)

ある児童心理学研究者が、研究の一部としてアメリカ人の子供、日本人の子供、中国人の子供など、文化圏の異なる複数か国の子供たちにこう質問したという。

『君は家族と遠く見知らぬ町に来た。車で来たので場所は全く分からない。そんな時、家族とはぐれてしまって、一人になってしまった。君ならどうする?』

日本人の子供の多くは『警察に行き、両親の名前を伝え、迎えに来てもらうのを待つ』と答えたという。

対し、アメリカ人の子供は『まずは道行く人にスーパーまでの道を聞いて、店で地図を買って、家までの帰り道を教えてもらう』と答えたという。

確か対象は5歳児だったと思う。それでここまですでに思考回路が異なるのかと非常に分かりやすい例で、とても印象的だった。ちなみに中国人の子供の回答も確か大人を捜して安全を確保することに動いた内容だった。

個人的にはヨーロッパ人の子供中東の子供はどう考えたのか知りたかったが本にはなかったので残念。

この5歳児が学校へ行き、それぞれこのような基本的な思考回路や欲求を育まれ、大人になる。そう考えたときに多文化理解の面白味も見えてくると思う。

余談だが、複数以上の思考回路、文化的価値観、欲求を完全にインターナライズすることは難しいともされているようだ。バイカルチャー(2つの文化を生きる)ことがせいぜい、トライカルチャー(3つの文化を生きる)は難しいという意見もあるようだし、サードカルチャーチルドレン(親とは異なる文化圏で生まれ育つ、いわゆる移民が多く当てはまる)は文化的なジレンマを感じるとか、アイデンティティ面での葛藤は多く研究されている。こういうのもまた面白いなと思う。

(次回につづく…)

2013年10月17日木曜日

一周年、おめでとう。

よくよく考えると、ブログを開始してから一年が立った。ぼーっとしていたら祝い遅れてしまった。イカン、イカン。9月1日だったのに〜。

以前は『Analyze + Summarize』という名前でやっていたのを、今年秋に『住人十色』にアップデート。同じようなことを書いていくつもりだが、タイトルチェンジで心機一転。以前よりも広がりというか曖昧なタイトルなので、分析やコメントを書かないでいい楽さが心地よい。自分の首を絞めすぎるのはよくない。

…と、半年ほど休んで起きながらも白々しくまた開始する自分の横着さに呆れながらも、ノラリクラリでも続けることに意義がある、というのが趣旨ということで許していただきたい。優しいリーダーばかりで良かった。

しかしあっという間にもう10月。こんなに早く一年が過ぎるなんて、そりゃあドンドン年取るわけだ。

そろそろ今年もお決まりの手帳移行の儀式…。うひひ。

…なはずなのだが、実は今年はすでに8月に移行済み。

というのは、最近は無印良品でも学生向け(?)に8月から9月までの手帳が出ている。正直1月スタートが気持ちはいいものの、仕事の関係で結構来年の4月ぐらいまでは予定を決めていかなくてはならないため、別の手帳を持ち歩くのが面倒くさい。それで結局早めの移行。

(ちなみに、現在カッコいい3年手帳を探し中。持っているだけで仕事が出来ると思われそうなアイテム、求む。あと、『ここの会社は確実に同じ手帳を売り続ける』というものならなお良し。こうなればモノにも頼って何が悪い?!開き直りの私にオススメがある人はぜひ連絡ください。)

今回移行したのは、以下。

●『カビの生えた成功体験は捨てる。』
これは2011年からの持ち込し。もはやこれはカビが生えるまで持ち込したい。

『腹をくくれ!!』
Exit strategyではなくCommitment strategyを持とう。逃げ腰はイカン!

『白でもない、黒でもない、グレーを許容しよう』
Ambiguity toleranceを高めましょう。まあそんなに急いで価値判断しないで。

そう、この『急いで価値判断しない』、というのは実は相当重要だと思う。国際人になりたいなんて難しそうな目標を持つよりも、この適当力(別称:まいっか力)を高めることの方がはるかに応用性が高い。

なんて、また脱線して熱くなってきたのでもう少し言うと、『どうやったら子供を国際人に育てられるか』なんて難しいことを考えるとのはやめにしよう。そんなこと、10数年海外に住んでるんだからって聞かれても答えられない。子供に何をしてあげられるかではなくて、親としてまいっか力を高める方が根が明るいまいっか力が高い子供を育てられて、彼らはきっといろんな意味で違いに許容力の高い大人になるに違いない…。

(…ということが正しいかは不安があるので、これからは海外で活躍されている方にもいろいろとお話を聞いて確認します。)

(ちなみに、まいっか力は決して鈍感力と同意語ではないのでお間違えなきよう。)

今年の移行からも、2013年の10ヶ月もいろいろ悩ましい一年であったことを分かっていただけると思う。ガンバレ、ワタシ。

2013年10月3日木曜日

午後3時のシンデレラ

今日は朝起きてから仕事を始めたので頭がカチカチだ。この硬い感じは実際に肩がが凝っているからなのだろうか。

午後3時にドアのベルがなる。

お。来た来た。マイ・シンデレラ。

何の話だと思うかもしれないが、本当に彼女は私のシンデレラなのだ。

より正確に言うと、Cinderella Domestic Placement Agencyという会社から派遣される、クリーナーさんだ。

まあ、お掃除の人を雇っているなんて、と思われるかもしれない。そう、私は掃除も下手だ。正直、クリーナーを雇うために仕事をしていると言っても言い過ぎではない。なんなら、一生働こうと思っているのも一生掃除から逃げたいという思いからだ。嘘だと思うなら、一度しばらく掃除から解放されてみてほしい。私の気持ちがわかってもらえるはずだ。

アメトークの掃除好き芸人を見ていると、「掃除が好きすぎて家が汚れないから他人の家で新商品の掃除グッズを試す」などというコメントがあった。そこまで徹底しているとシンデレラも出る幕がないが、私は潔癖ではないものの汚いのは嫌い、しかし自分でやると何かイマイチで、気になって時間ばなりかけてしまう。しかもなぜか片付けているはずなのにさらに散らかるという不思議な現象が起きてくる。

だから、週に1度、あるいは2度と家をリセットしてもらうことの価値は高い。大抵うちに来る人は私のいけてなさに気づき始めるのか、だんだん少しづつキッチンのものの置き位置を変えて多少動線を整理してくれたりとお節介をしてくれるようになる。掃除用品もあそこのブランドのこれを買ってくれと指示があるから楽だ。だらしなさを解消してくれる。

そういうわけで仕事を始めてからというもの、シンガポール時代を除いてほとんどずっとお掃除のお姉さんに来てもらっている。

ちなみにシンデレラサービスは、1時間12ポンドでミニマム2時間。これまでは知り合いの家に来ている人に頼んだりしていたが、ちゃんと派遣会社を通すことにした。そうすると少し高い。とはいっても時給にして2ポンド程度の違い。大騒ぎをする金額でもない。ただちゃんとそれぞれの部屋でしてほしいことのチェックリストがあり、毎週プリントして渡せばいいので私のように掃除においてまで指導をしていくほど心に余裕のない人間には非常にありがたい。しかも掃除に洗濯、アイロン、料理まで頼める。料理は現在修行中なので泣く泣く頼んでいないが、要するに時給制で結構家の事は何でもやってくれるのだ。

へロー。

と、家に入れてあげて、私はその日の指示を出してからそのまま外出する。家にいても仕事にならないし、だいたい午後3時ごろまでには「そろそろちょっと外の風を吸った方がいいんじゃないかい」という感じになっている。だから水曜日の午後のこの時間に食品以外の買い物をするようにしている。今日は家の整理整頓に役立つ箱などを多く販売しているThe Holding Companyでお茶用のとコーヒー用のお揃いの缶をゲット。




私が暮らしたい国ではどこででもこの手の家の仕事のお手伝いサービスは一般的で、共働きの家庭のでは普通にどこの家庭でも利用している。でも日本ではあまり一般的ではないらしい。日本には移民が少ないため、労働賃金が高いからというのがそもそもの理由としてあるが、その他に他人を家に入れたくないという心理的バリアがあるようで、あまりフラットシェアというのをしないのもそれが理由だと知人が言っていた。

でも最近つくづく思うのが、(正直大した仕事をしていなくても)働くって大変で疲れる。少しでも人に頼めることを取り入れていかなければ、体が持たない。ワークライフバランスは会社にも強く要求しながら、自分も少しでも楽をしていくことを考えるしかないのかな、と思う今日この頃。イギリスは5時半ダッシュで帰宅が普通にできる国でありがたい。

2013年10月2日水曜日

PukkaのAfter Dinnerハーブティー:残り4分のマジック

人生、雑に生きると損をする。

私の食べ物音痴(無関心)、料理下手は知人の間でも有名だが、結構下らないところでいろんなことに疎かったりする。

そんな私が、今日、初めて正しくハーブティーをいただいた。

というのも、お気に入りのPukkaのハーブティー(その名もベタに『After Dinner』)を食後に飲もうと思い、お湯を沸かしながら初めてぼんやりティーバッグの裏を読んでみた。






すると、

『インフューズ・フォー・アット・リースト・ファイブ・ミニッツ。』

え?5分もこれ入れたままなの?

ア、アット・リースト?

今6時20分だから6時25分まで待つのかい?

なんでそんなに早い時間に既にアフター・ディナーとなっていたかはスルーするとしても、早く飲んでホッと一息つきたいところでじっと待つこの5分はなかなか長い。

そろそろいいかな~。

え、まだ1分?

この時点でまだ1分だということを考えると、これまで50秒ぐらいしかティーバッグをお湯につけていなかったのかもしれない。限りなくお湯に近いお茶を飲んでいたということか。アフタヌーンティーの国、イギリスにてなんという失態。

『コーヒー派なんだよ、私は~。』と心の中で思いながらも、今日のハーブティーは確かにこれまでに増しておいしかった。私が体験していなかったこの残り4分マジック。ごちそうさまでした。

ファッション雑誌からの脱線:『Otherness』について考える。

今日、かなり久しぶりにファッション雑誌を購入。いつもは仕事上ビジネスマガジンや科学系の雑誌を読む事が多いので、広告を買っているような雑誌はいかがなものかと思う一方で、まあまあ時にはね、こうオシャレなものを見た方がいいんじゃない?ということで、分厚いのを3冊とりあえず購入。

そもそも今時誰が紙版の雑誌を購入するんだ…とは思いつつも、結構ヘビーな雑誌たちをドサッとソファーに投げ、PukkaのAfter Dinnerハーブティーを作り、お気に入りのBodumの保温マグカップに入れて飲む。

ペラ。ペラペラ。

まずはBazaarの2013年10月号から。今月号は『The Beauty Issue』とのこと。ビューティーからほど遠くなっている私にぴったりではなかろうか。ふむふむ。別冊子になっている『Bazaar Beauty Hot 100』。

Best 1は『Creme de la Mer』のThe Moisturizing Soft Cream。ザ・モイスチャライザーですな。

ちょっと気になったのは、RODINの『olio lusso』。最近顔がカサつくんです。これも加齢ってやつか。あとは雑誌に挟まっていた高級デパートLibertyの別冊の広告雑誌にあったMario Badescu Skin Careの『Drying Lotion』。もともと甘いものは苦手だったのが、最近時々チョコレートを食べるようになると、なんと年甲斐もなくニキビが出来るようになってしまい、ついでに仕事が忙しくなるとあごニキビ!『こいつらを寝ている間に本当にやっつけてくれるのであれば安い買い物なはず』と熱い眼差しを向けてしまう。

嬉しいことに、いくつか私も良しとするものがあったが、その中でも高得点だったのは『Aqua di Parma』の香水『Aqua Nobile』が取り上げられていたこと。3種類あるユニセックスのもので、香水好きの人にはどれもオススメ。街中で香りがすると思わず振り返るほど好きです。

などなど、まあそんな感じで写真が多いものをわざわざ価格まで確認しながら舐めるように読みすすめる。でも活字好きの私には、ファッション雑誌なんて大して読むところないよなー、なんて思いながらも本誌の記事もちゃんと読んでいると、ある記事にこんな表現があった。

『The power for otherness』。

Othernessとは要するにother/differentであるということ、という意味。

ファッションは流行を取り入れることこそ正しいような印象があるが、もともとはOthernessを求める、人と違う格好を取り入れる(シャネルのスタイル、プラダのバックパックなど)ことこそがファッションの原点なんだ、という内容の記事だったが、でもこの記事自体よりも、この『Otherness』という言葉が何だかとても心に残った。

当然英語としては意味が分かるが、ふと、そういえば日本語では何というんだろうと思い、調べてみた。でも『違っていること、異なっていること』ということしか出てこず、しっくりした名詞がない。

そこから少し話がずれて、じゃあ『Togetherness』(togetherであること)ってなんだろう?と思うと、『連帯感』『一体感』という日本語がある。じゃあ『Twosome(twoであること)』は?となると、『2人組』っていうちゃんとした日本語がある。

この『Otherness』という言葉だけがしっくりした日本語が出てこないのが、何となく日本であるような気もした。多分日本ではそれを『外』という漢字で表現していたのかな。『外部の人間が、、、』とか『外人』とか。『内』と『外』という対比で、『自』『他』とは違うレベルの比較。『自』も『他』と近しい立ち位置で『内』入りを目指す、それが日本的な発想か。

もう少し脱線して、『Belonging』も調べてみた。『belongしている』という意味の日本語が好きそうなこの言葉には『帰属』という固い訳が出てきた。

でも、そこには『安心できる関係で感じる幸福』というまさにビンゴ!な訳もちゃんと記されていた。『内』の中にも『Other』がある、そんな海外生活の中で時折感じる『belonging』を、『幸福』という名詞で汲み取ってくれたことに、なんだかホッとした。

はあ、これで安心して後の2冊もじっくり読める♬

2013年2月12日火曜日

個として飛び出すグローバル (2013/02/12):【渡航後】【キャリア】『at will』契約


【今回のテーマ:At Will契約について考える】

国によって異なるが、海外市場で働く際に心構えとして持っておくといいのが、就職は『at will』契約であるということ。

日本では、まだまだ転職のリスクが高いと考える人も多い上、最初から転職を念頭においている人は少ないようだ。ビジネス系雑誌でも例えば『ローカルスタッフはすぐ転職する』とため息をつく日本人駐在員、というような記載があったりするが、それも日本での会社への忠誠心という考え方から来ているのだと思う。

決してそれが悪いとは言うつもりはない(その点は以前も記事に書いた)が、一般的に海外市場では事情が異なる。基本はお互い満足している間だけ雇用関係が成立する、という『at will』契約が中心だ。(※『at will』契約については検索すればたくさんコメントがあるので、ここでは省略させていただく。)

そう聞くと、雇用される側に不利なように聞こえるかもしれない。確かに雇われる側が守られているかどうかとどちらとも言えない。(とはいっても一般的に育てた社員を解雇して新しい社員を育て直すことはロスが大きいので、企業が解雇を振りかざして社員を脅す、というようなことは無い。そういうことはパワハラなどで違法となる国がほとんどだ。)

ただ、だから、自分のスキルはいかほどかを常に意識することが重要になる。一生同じ会社で働くことが前提ではないので、いつかは自分で次を探して行くことになるからだ。

そうである場合の心構えとして考えておきたいことは、例えば以下のようなことだ。

1)自分は汎用性があるスキルを身につけているか?
各企業に独特の仕事のやり方があるのは当然だ。ただ、例えば自分がしていることは他社にも存在する職務内容か、やっていることの中で何が汎用性が高いことか、などをしっかり見極めることが重要だ。仕事のアサインメントにおいても、引き受ける際のタスクの価値判断のひとつとして、この点を押さえておきたい。

2)ポジションタイトルは、外部から見て分かりやすい内容か?実際の職務と一致しているか?
転職することを前提でいると、他社や人材コンサルタントなどから見ても分かりやすいポジションタイトルの方がヘッドハンティングの可能性が高い。もっと言えば、マネジャーポジション以降は一定の経験があると見なされるため、仕事の声がかかり始める。だからポジションタイトルは重要だ。一人でも自分の下で働くスタッフがいれば、マネジャーやリーダーなどというポジションをリクエストすべきだ。また、社内だけで通用するような、日本に多い『営業一課』のようなタイトルは最悪だ。一課の意味するところが外部には分からない。あるいは、社内でのみ通用するポジション名は分かりにくい。自分のタイトルがそのような不明瞭なものではないか、そして実際やっている職務内容と一致しているかは契約書をサインする際、また職務内容が変わる時に人事担当と擦り合わせをする必要がある。

3)自分はファンクショナルスペシャリストなのか、あるいはジェネラルマネジャーを目指すのか。
日本では係長、課長、部長、本部長、などというように、ジェネラルマネジメントのポジションが中心だが、海外では専門分野で活躍を目指し、マネジメントとは別のルートであるファンクショナルスペシャリストという考え方がある。とはいっても上に行けば部下もいるし、人や組織の管理はあるので、マネジメントを放棄しているというわけではない。ただ、専門性を売りにするのであれば、その分野に直結する知識や経験が重視される。だからブレないキャリアの方が好まれる。あるいは価値の高いブレであることを意識する必要がある。同様に、ジェネラルマネジャーを目指すのであれば人やタスクの取りまとめをする役割に積極的に手を上げるとか、早いところマネジャーというタイトルを獲得することが重要だ。

『at will』契約は必ずしも不利ではない。契約が自分に見合わないと感じた時に、契約の交渉が出来るからだ。会社が必要な人材と見なせば、多少なりとも条件の改善が期待できる。ただ、すべてを年俸としての金銭的な見返りではなく、例えばもっとトレーニングを受ける機会を与えてもらう、産業コンフェレンスに参加させてもらい人脈を築くなど、総括的に人材としての価値が高まるものを交渉するのも手だ。

一方でドライな関係であると言えばそうでもある。周りには『私はこれだけしかしないよ』という態度の人も多い。そのような中で、自分自身はどう考えるのか。周りと同じように『これだけしかしません派』になるのか、会社の目標に照らし合わせながらも自分自身でも目標を持ち、自己実現を目指すか。『流されない』生き方は職場でも大事だ。

私はこれを選択する。

『ぶれない生き方』などという表現があるが、一歩一歩、『I choose to ….』という表現で考えていくと分かりやすいかもしれない。私もやっと最近になり大人としての知恵が付き、迷いが生じると『自分は何を選ぶのか?』と意識するようにしはじめた。結局はそういうことなんじゃないかな。



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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。

2013年1月20日日曜日

個として飛び出すグローバル (2013/1/20):【渡航前】【心構え】くじけそうになったときのことを前もって考えておく

【今回のテーマ:くじけそうになったときのことを前もって考えておく】


これは最近になってアドバイスするようになったこと。『とりあえず、くじけそうになった時にはこうする、っていうのを考えておいたらいいよ。あの歌を聞くとか、こういうスポーツをするとか、部屋を片付けるとか。』

別に国内にいたって思いっきりくじけそうになることは多いにある。ただ、海外にいると周りにサポートシステムがないため、『くじけそう』から『暗闇に迷い込む』ように気分が急降下してしまいがちだ。やけ酒して暴れるという元気があるならまだしもいいが、軽い鬱状態になる人もいる。だから、最初から、くじけそうになったときにどうやって自分を励ましていくかを考えておくとよいと思う。

そういう私も、これまで特にくじけ対策はしてきてなかったが、迷っていると思うときは、何となく手帳を持ち出して、迷う前は何考えてたっけ?と今年の目標やその他の走り書きを眺める。

加えて、実は最近になってくじけそうになったらこれを思い出そう、という歌を決めた。KANの『最後に愛は勝つ』だ。
この歌のことは、長いことすっかり忘れていた。それが、暇なときに見漁った『情熱大陸』で、出演していたモデルの杏が『最後に愛は勝つ』のカバーをレコーディングをしていたシーンがあったのだ。それで何となく歌詞を振り返っていたときに、ああ、何だかこの曲の軽さが非常に心地いいなあと思った。自分なりに紆余曲折、いろんなことをくぐり抜けたから分かるのか。多少大げさに聞こえるかもしれないが、大人になって昔読んだ小説を読んでその価値がやっと理解できたと思えた気分だった。

もっとカッコいい曲を自分の激励テーマ曲にしてもいいが、結構ストレートで最終的にはそこそこいい加減な性格、そのくせ頭でっかちにいろいろと考えがちなので、こういうトーンの曲がいいだろう、と。母親に『え?人生楽なんて言って育てたつもりないけどな~♩』とさらりと言われたあの日の夕焼けのことをぼんやり思い出しつつ、とりあえずそういうことにした。

とはいっても、私は歌が下手なので、歌うわけではなく、歌詞を思い出し、まあ人生いろいろあるさ、と思うわけだ。あれこれ考えて頭でっかちになりやすいところを、敢えてシンプルに行こうではないか、と。自分にとってはそういうような意味付けだ。

大抵こういうことで自分は落ち込みやすい、というのが分かってくれば、その状況が起きた瞬間に『おっとっと』、と思う。『危ない、危ない、また転げ落ちるところだった』とか、自分でつぶやきながら(←怪しい?)、早めに挫折を切り上げよう。正直、くじけやすい人は、ポケットサイズの『くじけ手帳』を作るぐらい、自分なりにああいう時はこうしよう、というネタ帳を持つべきだと思う。これさえ持っていれば、何が起きても大丈夫、と安心材料になる。こんなところでも自己分析は役に立つものだ。そういえば、ボーイスカウト手帳(※弟のです)が言っていた。『備えよ、常に。』

日本にいても、海外にいても同じことだが、耐えなければならない試練というのは必ずある。ただ、最近思うのが、表面的には非常に重要な試練に見えても、自分の人生という長い目で見たらそれほど価値がないこともある。それに耐え方というのはいろいろとあって、適当に耐える程度で良いこともあるし、真剣に本気で耐えることが必要な場合もある。また、自分がどうでるかで大きく状況を変えられる試練だってある。

例えば、上司のいじめは人生にとっては価値は低いし、転職すれば大きく状況解決に導ける、など。その場にいるときは、毎日が試練に見えるが、実際は単に幼稚な上司に付き合って時間を無駄にさせられているだけと考えられるかもしれない。そう考えると、いい加減に耐えるか、あるいはきっぱりとその場から離れるか、などと対応策が見出せる。

試練を耐える時の力加減は自分の人生への意味合いと比例しなければ、耐え損だ。だから、気持ちの急下降を避けるためにも、自分の目標を中心にどこまで悩むか考えた方が良い。私も最近はそう考えるようになってきた。

『え~、この件に関しましては、とりあえず一晩やけ酒、2日目二日酔いで不機嫌/体力消耗、3日目はしょうがないからしぶしぶ対策を講じはじめ、4日目にはひらめきが訪れ、5日目にはトンネルを抜けた気分、6日目の私は先週とは別人よ』とでも、多少ふざけた悩みプランを持つ。数日間、グダグダ、メソメソする余裕も必ず含めよう。そうすると、『さて、グダグダもしたし、次はどうしよう?』という風に気持ちの上でも納得がいく。

ついでに言うと、新しい国に来た矢先の愚痴やグダグダ、メソメソは、なるべく日本人の友達と共有しよう。

日本では、比較的『弱みの共有』が許される。『飲ミニケーション』のように、夜、会社の愚痴を言い合うことで、みんなで気持ちを整理し、新たな明日を迎える、そういうことが普通に行われる。もちろん居酒屋で暴れ、上司を罵倒したら別だが、多少鬱憤晴らしをすること自体は容認され、コミュニケーション、信頼構築の一環と捉えられる。

ただ、弱みの共有がポジティブに受け入れられない文化もある。より個人主義で、(『和』を重んじるというよりは)『個』を尊重する文化では、悩んだ結果の共有(私はああしたい、こうしたい、I have a dream.)を強調することの方が、『こいつはやる気があっていい』『ポジティブな影響を受けられる』と、人間関係、サポートシステム構築を促す場合もある。十分親しくなってからではないと、弱みを見せない、そういう文化の人の前で自分のイメージを崩すようなことは、特に職場などではネガティブだ。

だから、悩みをある程度自己処理できることは非常に重要だ。方法は何でもいい。自分の悩み方を良く理解し、対策を先に考えておこう。

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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。

2013年1月12日土曜日

個として飛び出すグローバル (2013/01/12):【渡航前】【語学力】専門分野の語学学習は日本にいるうちに!


【今回のテーマ:専門分野の語学学習は日本にいるうちに!】

海外に飛び出したい、という人によく相談される。『あれがしたい』『これに興味がある』。『でも、語学ができないんです。どうしたらいいですか?』と聞かれることも多々ある。

現地に行けば自然と身に付く、という人もいると思うが、私は敢えて厳しく突き放す。『それじゃあ前途多難、厳しいと思います。』

当然、そういうことを言うと、とても嫌われる。『あなたは語学に長けていてラッキーですよね』と言われる。確かに私はそこそこ耳がいいと思うし、そこそこいい加減な性格であるところも、実は語学学習にプラスになっていると思う。

でもそういう理由は、言葉以外にも苦労しなければならないことは山ほどあるからだ。だから、日本でできる苦労は、日本にいる間に処理しておきたい。

語学学校に行くこと自体が目標であれば別だが、相当語学が出来ない限り、外国語で勤務しながら活躍するというのは難しい。というよりも、採用してもらえない。私の周りでも、専門分野を持ち、語学だって上級の人でさえ『言葉ができぬ』『思いが通じぬ』とため息をついているので、語学力から現地で身につけるという姿勢ではロスが多い気がする。

そういう嫌なことを言うと、『じゃあどれぐらい出来ればいいんですか?』、と半分怒った顔で聞かれる。TOEICで何点取ればいいのか、とかそういうことばかり聞かれる。

目安が欲しいのは良くわかるが、私ももう長いこと語学検定などを受けていないので、正直何点取ればいかほどか、というのは良く分からない。

それにコミュニケーション力には幅がある。
私の周りにも、こういう人がいる。本人は外国語は苦手と言っているし、実際大してスラスラ話すことは出来ない様子。それでも、謎に学者から若者までと幅広くそれなりにコミュニケーションが取れている上、相手も積極的に彼女に話しかけていく、という不可解な現象が彼女の周りで起きる。本人曰く、『総合力で勝負』。彼女の言う総合力には何を含むのかよくわからないが、一般常識とか、専門分野の知識とか、親心とか、ひと好きがする、『全部分からなくても大丈夫力』の高さなどと私は理解している。結局はコミュニケーション力は総合力なのだ。ちなみに、これは私の母の例である。

ただ、適当路線を貫くよりも、なるべく言葉はちゃんと勉学した方が良い。仕事で外国語を使う場合、絶対に、発音が悪いよりは良い方、文法が曖昧より完璧な方が全般的に評価が上がりやすい。理由は、もちろん『周囲に理解されやすいから』。もっと言えば、発言に中身があって多少発音が悪いのは許されるが、中身もあやふや、発音、表現力が乏しい場合は職場では相手にされなくなる。

相当珍しい外国語を勉強しない限り、日本でも教材には事欠くことはないし、語学学習の達人という人たちの本から学習テクニックも学べる。語学学習のプロが勧めることを片っ端から試してみればいいと思う。だから、自分なりに『やれることはすべてやった』と思えるぐらい、徹底的に取り組んでみると良い。実際に何よりも大事なのは、他人による語学スキルの評価ではなく、自分で『知らないことは説明してもらえば理解できる』と思える自信なのだ。できると思っていれば、分からなくても『分かるはず』、完璧でなくても『大筋は伝えられる』、と思えることで、ひとまず最初の3ヶ月を突破していける。

ただ、それでもしつこくどう準備をすればいいか教えてほしいと迫られると、『今日、日本語でも一番説明しづらいと思ったことは何か』を毎晩考え、『それを自分なりに外国語でどうにか言えるかどうか』、を考えてみると良いのでは?とアドバイスする。

相当語学が出来ても、というよりも、母国語であっても、毎日完璧に言いたいことが言えた、ということはあまりない。後でこう言えば良かった、ああ言えば良かった、と後悔する。だからこそ、その日一番難しいことを後付けでも『こういう風に言えばいい』と思える表現が出てくるようになれば、ある程度のレベルに達したと考えていいと思う。

語学力はなだらかにアップしない。数ヶ月単位で段階的にアップし、あるとき突然音が聞き分けられ、文章が理解できるようになる。だから、しつこく勉強した人が能力アップしていく。

あまり難しく考えすぎないでもいいと思う。語学は基本、パターンプラクティスで、ハコ(文法)と単語の蓄積がモノを言う。

パターンプラクティスとは、『私は猫が好きです』というのを『あなたは猫が好きです』『私は犬が嫌いです』という風に、パズルのように組み立てるイメージだ。大抵の西欧言語では、『好き』と言えれば否定を加えることで『嫌い』と言える。そして『猫』『犬』『うさぎ』、あるいは『私』『あなた』『彼』という風に変えて行く部分の語彙を増やすことがまずはてっとりばやい。

そして、正しい外国語を話すための基本は、文章の構成の基本となる文法だ。日本人は文法ばかり勉強してるから語学が出来ない、という批判があったが、いえいえ、ハコは何よりも重要です、だから何よりも先に基本文型、まずそれありきでしょう、と私は思っている。

ハコは学校で学んだから、語彙力はどこからつけていけばいいのさ?という話になるが、日常会話は本を一冊とりあえず買ってそこにあることをすべて学ぶとし、その後は自分の専門分野の語彙をどんどん習得していくのが仕事をしていくことを考えれば最も効率的だと思う。専門分野の本が読めるぐらいの語彙力があれば、確実に話せるようになっていくと考えている。だから、話せないから不得意と感じるよりも、そもそもの得意分野、専門分野であればすらすら外国語で本が読めるというレベルになる、というところまで頑張ってみるのが近道だと思う。

だから基本レベルを押さえている人は、『おはよう、こんにちは』の英会話学習は辞めて、自分の専門分野の本を片っ端から読み、今日一日でどうしても伝えたいことを考えてみると良いと思う。

ただ、あまり語学力が重要、というと誤解が生じるので最後に一点付け加えておくと、海外市場では、語学力が高いことだけが理由で採用されるパターンは限定的。日本のような総合職という考え方はあまりないので、とりあえず採用しておいて使い方を決めよう、という風に人事は動かない。まずはスキルありき。一度、帰国子女という方が『日本語と英語のバイリンガルとして仕事をしていきたい』と面接で発言されたことがあるが、正直びっくりした。とても性格も良さそうで優秀そうな方だったので、分野違いの会社での面接でそれしか言うことがなかったということだったのかもしれないが、(この場合は英語だったが)英語は話せて当然。加えて何をスキルとして、知識として持っているか。勝負はそこになる。

日本での就職活動もかなり厳しい状況であるようだが、海外市場だって簡単ではない。むしろ厳しい。だから、出来る準備は出発前に十分しておくことをおすすめする。


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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。

2013年1月6日日曜日

個として飛び出すグローバル (2012/01/06):【渡航前】【心構え】飛び出すか迷っているときに


【今回のテーマ:飛び出すか迷っているときに】

こういう質問を受けることがある。『海外に行くか迷っています。どう思いますか?』

そういう言われると、結構回答に迷う。

本当は『迷うぐらいなら辞めた方がいいです』と言いたい。日本はまだまだレールを重んじるところがあり、一度離れると軌道修正がしにくい国だ。迷った挙げ句レールを外れて、やっぱり後悔して戻る、となると、また二重に損する感じがする。女性であれば、30代以降は就職も厳しくなり、なかなか正社員がない、と聞く。そんな状況で外に飛び出すのであれば、もう戻れないという強い覚悟がなければ難しい。

でも一方で、『いや~、いろんなところに住むっていうのも面白いですよ~』と言って後押ししてあげたい自分もいる。そういう道を選んだ自分も、そこまでの意気込みで海外に来た訳ではなく、何だかそういうふうに人生が流れてしまった、という方が現実に近い。すべて計画通りには行かないのも人生。波瀾万丈とは言わずとも、結構日常的にスリルが多いことも確か。

だから、わざと少し論点をずらして、『体力的に自信がありますか?』と聞くことにしている。

そうすると、必ず、『え??体力ですか?』と言われる。
『それ、文脈的におかしいだろう』、『何たぶらかしてるんだよ』という相手の心の声が聞こえてくる。

困惑する相手に対しいつも言っているのがこれ。『いやね、海外で一人でやっていくって、結構馬力がいるんですよね。』

そう言っても大抵すぐはレスポンスがないので、そこからは好き勝手話し始めるとする。

そもそも、普通に考えて日本人が自国・日本で会社勤めをするだけでも毎日結構大変だと思う。(この点をあまり認識していない若者からも相談されることが有る故、まずはそこからスタート。)それをわざわざ他国でやろうと思うと、行き着くところは精神力、体力勝負と言っても過言ではない。海外でピンで活路を拓いて行くには、『石の上にも3年』というか、最初の数年が鍵となる。周りを見ていると、厳しい3年を頑張り抜けた人は大抵その後余裕で居残る。

だから、どこから手をつけたらいいか分からない、という人には、『とりあえず毎日腕立て伏せ30回やることから初めてはいかがでしょうか?』という。そうすると笑われる。でも『その30回を半年続けることができたら、ひとまずやる気という意味ではパスしたと自分に言ってあげていいと思う。しかも実際に体力(腕力)もつくわけだし、得した気分になってほしい。』と言う。

どこから手につけていいか分からないのなら、少し具体化するお手伝いをするという意味でそう言うが、そうするとほとんどの人が自主的に何かしら行動を起こし、『準備として○○を始めてみました』と言ってくるようになる。そうやって多分イメージが少しづつ沸き、話に現実味を帯びてくる。

ほんの少し背中を押すだけでこんなに変わるのだな、と思いながらも、逆に辛いのが、一人で飛び立った後、最初から現地でそういう風に支えてくれる人が必ずしもいるわけでもないという点。つい親心のように心配してしまったりもする。

とはいっても、別に毎日が辛く悲しいわけではない。というよりも、通常は楽しい日や普通の日の方が圧倒的に多い。ただ苦しくなってきたときに自分を救えるのは自分の精神力だけだ。

そんなこと、海外にいなくたって同じだ、と思われるかもしれない。いやいや、でも周りにサポートシステムがない場合は結構辛いんですよ。グッと来るんです、痛みが。しかも、例えばヨーロッパのように、昼が短く曇りがちの冬に、周りには何でも話せる友達もおらず、セントラルヒーティングは故障して寒いし、ボイラーは不具合を起こしている、という状況(※こういう環境的不具合、よくあります)。そんな中、『今は○○だけど、自分には乗り越えられるに違いない』と、自信を振り起こして前進していかなくてはいけない。トンネルの先には光が見える(…気がする)、と信じていくしかないのだ。

…と、想像するだけで多少暗い気持ちになってしまう。

ただ、辛いときに真面目に自分にムチを打つ必要は全くないと思う。必要なのは、そういう中でも、『ま、いいか~♩』と適当にやり過ごすことが出来る力。

ん?それって『力』と呼ぶものなのか?

はい。敢えてそれは力だと呼びたい。
…と言い切りつつ、一瞬『力ってそもそも何さ?』と不安がよぎったので辞書で調べてみた。

力とは、『何かをするとき、また、動かすとき、それを可能にする働きを生み出すもの』だという。

なるほど。『それを可能にする働きを生み出す』、か。適当にやり過ごすことを可能にする働きを生み出す、というと、何が何だか分からないが、精神的な凹みを乗り切るエンジンと考えれば、それも力なのだろうか。

まあ、迷っているならば、とにかくゼロからイチに何かを動かし始めるといい。それが毎日腕立て伏せでもいいのではないか。ただ、決めたリズムで継続することが大事。たとえ目標とかけ離れているように見えても、機動力をつけることは人生においてもプラスになる。そういうわけで、これからもクサいことやカッコいいことは言わずに、多少トンチンカンでもこのようなアドバイスを私はしていこうと思う。


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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。

2013年1月2日水曜日

個として飛び出すグローバル (2012/01/02):【企画の紹介】はじめに


 『個として飛び出すグローバル』というテーマを見つけたのは、Analyze + Summarizeを立ち上げてからのこと。

Analyze + Summarizeはそもそも5分の隙間時間を有効活用するために面白い記事をリビューしますよ、との押し売りで始めた割には、日々気になったことについて好きに話すという方向性で進んでいた。

そんな『押し付けられた友達以外、誰がこんなもの好んで読むのかねえ』と思い悩む、ある日のこと。

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Analyze + Summarize、今後どうするのさ?
何が売りなわけ?
読者、離れつつない?
もっとガンガン書くべきじゃない?
お金にならなくてもいいわけ?

そもそも、私でなくても日本プラス2カ国経験者なんて、結構いるじゃん?
駐在さんとか、一度海外に出たら海外組になるっていうし。」

と自分を責め始めると、自己保存本能が動き始め、

ハッ!

と、ここで今日の気づきがあったわけです。

『個として飛び出すグローバル(仮)』。

日本の会社に所属しての海外組は結構多い。中には大きなお金を動かしている人たちもたくさんいる。エリートと言われる人たちだ。
10年ひとつの(外)国にずっと住んでいる、その国のベテラン日本人の方もたくさんいる。現地情報は彼らの方がずっと詳しい、ローカルエクスパートと言われる人たちだ。

でも他のカテゴリーにはノマドもいる。ピンでこれだけ海外を住み渡り歩いて結構普通に仕事をしてきた人は少ない。そう考えると、勝手にひとりで外に飛び出した人が、そこで活躍していくには何が必要か、どんな壁や挫折があるか、(どういう面白みがあるか、)そういうことならそこそこの自信を持って語れるような気がする。(ただ、「良い子は真似をしないように」という話になってしまってはしょうがないが、そこはモノは言いようということか。)

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『勝手にひとりで外に飛び出した』というのは多少失礼な表現だが、以前書いたことなので修正を加えずに掲載。)

日系のビジネス本や雑誌を読んでいると、日系企業からの海外勤務経験者や国内の外資系で活躍されている方の意見は目にすることができる。ただ、海外でガチンコ勝負している人の声はなかなか届いていないようで、そのためか、ときどき『海外組の実態を教えてほしい』と聞かれる。そこで自分の過去を振り返り、自分なりに考えをまとめるついでに、最も汎用性が高そうな部分を共有していこうと考えるに至った。

(至った、とはいっても、しばらく前に『来年は「個として飛び出すグローバル」を書きます』と言ってしまった手前、やらなければならなくなったという方が現実には近い。)

もちろん、私以外にも特に日本を相手にすることもなく海外市場で活躍されている方もたくさんいる。だからあくまでも一個人の経験だ。(将来的には他の方の経験談もここで紹介できるようになれば、これから飛び出そうとしている人や飛び出した先で活路を見出そうとしている人に何らかの参考になるのではないか、と思っている。)

私自身は、転勤などという形で組織に属して海外に働きに来たわけではなく、海外で大学院を卒業後、現地でそのまま外資系企業に就職し、そこからいろんな国や会社を渡り歩いてきたタイプ、『結果ノマド派』だ。特に望んでそうしてきたわけではないが、何となく流れで現在も外資系企業(=日系じゃないという意味)に勤務し、これからも仕事をしていこうと考えている。

特に大それたミッションを感じているわけでもなく、人生も緩やかに現在進行中、未完成、まだまだこれから、といったところだ。結構働き者だとは思っているが、人様に偉そうに何かを語る資格は大してないというのも自分が一番良く分かっている。そこが辛いところだが、その辺はお許しいただくとして、使える話は活用していただければありがたい、というスタンスで、特にこれまで個人的に質問されたことを中心にまとめたいと思う。

なお、この連載では、なるべく自分が理解していることを書きたいため、自分の状況に近いことを目指す、あるいは同じようなことをしている方を意識して書いている。
具体的には、読み手の想定としては、
『(駐在員などのように)組織に属しているわけではなく』、
『(個人事業主ではなく)一般企業に勤務』している、あるいは勤務を考えており、
『(ゆるキャリというよりも)現地でそれなりにバリバリ仕事をしたい』
という前提で書いている。

加えて、私自身はひとつの国のローカル・エクスパートではなく、日本以外にも5カ国で勤務経験を持つ、ピンである上、しかも『流れ』でもある。あるひとつの国については私よりも知識豊富な方が大勢いらっしゃることも十分理解している。その点はご了承いただきたい。

最後に、私は子供のころから十人十色というコトバがとても好きなタイプで、基本的には何がいいかなんて、分からない、人それぞれだ、と思っている。だから『個として飛び出した方がいい』とか、『いやいや、組織から派遣された方がいい』とか、そういう価値判断はしていないつもりだ。あくまでも『へ~、そんな人もいるんだ』、という程度で、選択肢のひとつとして捉えていただければありがたい。

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※以前『Analyze + Summarize』として掲載していた分を引っ越しさせてきました。
無断での転記引用はお断りしています。