2013年10月24日木曜日

【個として飛び出すグローバル】『グローバルに活躍できる子供を育てるには?』という質問について考えてみる②

(前回につづく…)


少し話を戻して、グローバルに活躍するためには、大人になったときにどれだけ思考回路や文化的価値観を理解し、違いを見抜けるか、ということなのではないかと思う。ただ理解したり見抜けるだけでも多分60〜70点で、そこで共存していくには、共通項を見出だしていけるか、という事になるのだと思う。

『じゃあ親としてどうすればいいのか?』と聞かれる。そんなこと私に聞かないでもっと専門家に聞いてほしい、とも正直思うが、自分への反省点も含めて私が親になるまでにやりたいこと、という観点でいくつか以下に挙げる。


①親としてもっと世界の価値観を知る。

日本では『外国=アメリカ』というぐらいアメリカの影響が非常に強いと感じるが世界は広い。だから、例えばアメリカ帰りの研究者の本ばかりではなくてアジア研究者、中東研究者や欧州研究者など、幅広い人の意見を読んでみるというのがてっとり早い。
この本や記事はどういう経歴の人が書いたのか、ということを少し意識してみると、これも面白い。

例えば、小論文の書き方で本で『これはいい!』と思う本は、しばしばフランス文学者に書かれたもの。それはフランスがディベートの国で、フランス(あるいはヨーロッパの)の文系の高校生は哲学の授業を受け、『笑いとは』『生きるということ』というような日本人に言わせれば『マジですか?』というテーマで論文を書かされる。そういう事を知っている日本のフランス文学者は、こういう大きいテーマで議論できる日本人を育成したいと切に願うのではないだろうか。

もっと熱心な勉強家の人は、ギリシャ哲学、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などや歴史本など、もっと価値観や世界観の源泉となっている宗教観や哲学に関する本を読むとよいと思う。あるいは小説が好きな人は世界文学全集を読むとか、楽しみながら文化に触れることもできる。


②親として、もっと日本を理解する。

歴史、文化に加え、日本的発想を理解し、子供に不意打ちで質問を食らっても(笑)説明ができる。日本人は日本の事を知らない、と外国では言われるし、私自身もなんて無知なんだと自分に嘆いてしまう。『グローバル』に関わるテーマを研究する方たちも自国を知る事の重要性を説いているので、これはやって損はない、絶対間違いないと思う。

ただ、日本文化を理解するというのでも、日本の本を読んでいると正直きりがないと思ったこともある。どれを読んでいいか分からず、本屋をうろうろしてしまうという方に個人的におすすめできるのは、ライシャワーの『Japan: The Story of A Nation』。幼少を日本で過ごしたハーバード教授として名高いが、実はフランスの国立東洋言語大学(ラングゾー、Langues O')でも日本語と中国語を勉強するなど、いろんな角度から日本を研究してきた学者だと思うし、何よりも分かりやすいと思う。加えて、日本を知る外国人の多くがこの本を読んでいるので、『ライシャワーに書かれていたが』と言うと、『オー、私も読みました』とその土俵で話を進められるというメリットもある。


③子供に日本だけが活躍の場ではないとそれとなく教えてあげる。

私が外国へ出て行く抵抗感がなかった理由は、きっと両親が私が生まれる前にフランスに住んでいたことの影響はあると思う。『ふーん、この人たちでも外国に住めるのか』、と一気に心理的バリアは撤去された。でも親は別に特に『外に行け!』と言わなかった。というよりも、高校生のときに私が大学は米国留学するといったら全面拒否、学部レベルはダメ、お金は出さないと全否定。ふてくされた私は大学時代は空き缶を蹴っていたが、結局フランスでの大学院留学はサポートしてもらった。大人になった今では、その判断の理由が少しは理解できる。でも『行ってもいいんじゃない?』とオプションは頭にインプットしてくれたと思う。

でも外に出てみるか、と考えるようになった本当のきっかけは、小学生の時に外交官の子供だったスペイン人のおばさんに『あなたは世界に出て行くんだから(『行きなさい』、ではなく)』と常々言われたからだ。子供の頃、親の言う事なんてよく聞いてない。でも部外者の彼女は会うたびに小学生の私にそう言ってきていたので『あ、世界って別に普通に出て行けるものなんだ〜♬』と私も刷り込まれて、そのうちまんまと信じるまでになっていた。だから行きなさい!というよりも、オプションとして考えられる、『行ってもいいんじゃない?』と教えてあげるのがちょうどいい案配だと思う。別に海外に行くも行かないも、最終的にはその子の願いや夢によるものなのだから。


④英語以外の外国語を勉強させてみる、あるいは親が勉強してみる

もし語学的センスのある子供であるならば、中国語でもいい、フランス語でも、アラビア語でもいいと思うから、英語以外の外国語の基礎を勉強するチャンスを与えてみるのはどうだろう。語学は思考と深い関係性があり、基礎を知るだけでも、センスがある人は『こんな風に考えるんだ』、など、少し違うものを見始めると思う。親も語学を勉強していると、大人でも勉強するものなんだ、と押しつけではない形でツールを持つ重要性を何となく理解してもらえるかもしれない。(それにヨーロッパに来ると3カ国語話せる、あるいは理解できる人なんてゴロゴロいる。)


…などと、思う事を4つ挙げてみたが、勉強熱心な親である方からの質問が多いので、彼らの意欲に沿う回答をしてみた。正直、こんなつまらない記事を読むぐらいなら、世界の名著を読んだ方が良いとも思うが、参考になればこれ幸い。

2013年10月20日日曜日

【個として飛び出すグローバル】『グローバルに活躍できる子供を育てるには?』という質問について考えてみる①

長いこと海外生活をしている人は、きっとよくこう質問されると思う。

『どうしたら子供をグローバルに活躍できるように育てられるだろうか?』

私もそのような質問を受けることがあり、これまでは適当に『うーん難しいねえ、どうだろう』と答えていたが、最近しつこく考えを迫られることがあったので少し考えてみた。

まず、質問をよく理解してみよう。

『グローバルに』『活躍』とはどこを差すのだろう?

  1. 海外のトップ校を主席で卒業し、そのまま現地でエリート化する(ローカルあるいはグローバルエリート)
  2. 日本のエリート校を日本で日系企業に勤務し、海外転勤し本社に栄転する(日系大手企業のエリート)
  3. あるターゲット国、市場でスキルを生かして活躍すること(ローカルエキスパートを目指す)
  4. 複数か国に『流れ』ても平気な人になる(かなり漠然としているが、『結果グローバルノマド』)
  5. などなど
話をよくよく聞くと、多くの場合が1や2狙いであるようにも思えるが、それは自身が留学や海外勤務を経験している人からの質問が多いからかもしれない。同時に最近感じるのは『日本は将来どうなるか分からないから逃げ道を与えておきたい』という思いもあるようだ。

私自身よりもより参考になりそうな周囲の例を見て分析すると、上記3種類の中で活躍している人に関して確実に言えることがある。それは、海外で活躍出来る人は、日本でも確実に活躍できるタイプの人材であること。スキルがある、専門性がある、ノレッジがある、人望がある、人脈がある、馬力がある、ひとりでも努力できる、などなど。日本にいても必要な成功の要素がうまくブレンドされている方が多い。それは起業家でも、企業エリートでも、ジャーナリストでも、料理人でも言える。だから海外で活躍の前に、まずはそもそも活躍出来る人材を育てると考えた方が良さそうだ。

私は子育ての専門家ではないので、幼少期に英才教育を行うなど、そういう教育方針や理論の中で何が効果的なのかは分からない。これが一番効果的、というものがあるのかも分からない。

ただもう少し大きくなってからの事を考えると、中学生以降の留学はしないよりはする方が子供の世界を見たいという意欲を促進することになるとは思う。だからきっといいのではないかな、といつも言う。(ただ話を聞くととんでもないホストファミリーに受け入れられた語学留学の話も聞くので、教育面でも生活面でもきちんとした環境が提供される受け入れ先を選ぶことは重要だと思う。)でも早ければ良いとも限らないし、単に留学しましたと履歴書に書ける、というだけのものであればどれほど効果があるのかも不明瞭だ。

でも、そういうのは、tacticsに過ぎない気もする。

本当に活躍していくためには、自分が選んだ行き先で、どれだけそこに住む人たちの価値観や思考法などを理解しているかということだと思う。それを本で知識として習得するか、現地入りして肌で吸収していくかは人それぞれだが、根本的にはそれが出来る人が活路を見出していけると思う。

こういう話を読んだことがある。(本のタイトルは忘れてしまい、メモを取っていなかったので詳細は多少あやふやだが、ポイントは理解してもらえると思う。)

ある児童心理学研究者が、研究の一部としてアメリカ人の子供、日本人の子供、中国人の子供など、文化圏の異なる複数か国の子供たちにこう質問したという。

『君は家族と遠く見知らぬ町に来た。車で来たので場所は全く分からない。そんな時、家族とはぐれてしまって、一人になってしまった。君ならどうする?』

日本人の子供の多くは『警察に行き、両親の名前を伝え、迎えに来てもらうのを待つ』と答えたという。

対し、アメリカ人の子供は『まずは道行く人にスーパーまでの道を聞いて、店で地図を買って、家までの帰り道を教えてもらう』と答えたという。

確か対象は5歳児だったと思う。それでここまですでに思考回路が異なるのかと非常に分かりやすい例で、とても印象的だった。ちなみに中国人の子供の回答も確か大人を捜して安全を確保することに動いた内容だった。

個人的にはヨーロッパ人の子供中東の子供はどう考えたのか知りたかったが本にはなかったので残念。

この5歳児が学校へ行き、それぞれこのような基本的な思考回路や欲求を育まれ、大人になる。そう考えたときに多文化理解の面白味も見えてくると思う。

余談だが、複数以上の思考回路、文化的価値観、欲求を完全にインターナライズすることは難しいともされているようだ。バイカルチャー(2つの文化を生きる)ことがせいぜい、トライカルチャー(3つの文化を生きる)は難しいという意見もあるようだし、サードカルチャーチルドレン(親とは異なる文化圏で生まれ育つ、いわゆる移民が多く当てはまる)は文化的なジレンマを感じるとか、アイデンティティ面での葛藤は多く研究されている。こういうのもまた面白いなと思う。

(次回につづく…)

2013年10月17日木曜日

一周年、おめでとう。

よくよく考えると、ブログを開始してから一年が立った。ぼーっとしていたら祝い遅れてしまった。イカン、イカン。9月1日だったのに〜。

以前は『Analyze + Summarize』という名前でやっていたのを、今年秋に『住人十色』にアップデート。同じようなことを書いていくつもりだが、タイトルチェンジで心機一転。以前よりも広がりというか曖昧なタイトルなので、分析やコメントを書かないでいい楽さが心地よい。自分の首を絞めすぎるのはよくない。

…と、半年ほど休んで起きながらも白々しくまた開始する自分の横着さに呆れながらも、ノラリクラリでも続けることに意義がある、というのが趣旨ということで許していただきたい。優しいリーダーばかりで良かった。

しかしあっという間にもう10月。こんなに早く一年が過ぎるなんて、そりゃあドンドン年取るわけだ。

そろそろ今年もお決まりの手帳移行の儀式…。うひひ。

…なはずなのだが、実は今年はすでに8月に移行済み。

というのは、最近は無印良品でも学生向け(?)に8月から9月までの手帳が出ている。正直1月スタートが気持ちはいいものの、仕事の関係で結構来年の4月ぐらいまでは予定を決めていかなくてはならないため、別の手帳を持ち歩くのが面倒くさい。それで結局早めの移行。

(ちなみに、現在カッコいい3年手帳を探し中。持っているだけで仕事が出来ると思われそうなアイテム、求む。あと、『ここの会社は確実に同じ手帳を売り続ける』というものならなお良し。こうなればモノにも頼って何が悪い?!開き直りの私にオススメがある人はぜひ連絡ください。)

今回移行したのは、以下。

●『カビの生えた成功体験は捨てる。』
これは2011年からの持ち込し。もはやこれはカビが生えるまで持ち込したい。

『腹をくくれ!!』
Exit strategyではなくCommitment strategyを持とう。逃げ腰はイカン!

『白でもない、黒でもない、グレーを許容しよう』
Ambiguity toleranceを高めましょう。まあそんなに急いで価値判断しないで。

そう、この『急いで価値判断しない』、というのは実は相当重要だと思う。国際人になりたいなんて難しそうな目標を持つよりも、この適当力(別称:まいっか力)を高めることの方がはるかに応用性が高い。

なんて、また脱線して熱くなってきたのでもう少し言うと、『どうやったら子供を国際人に育てられるか』なんて難しいことを考えるとのはやめにしよう。そんなこと、10数年海外に住んでるんだからって聞かれても答えられない。子供に何をしてあげられるかではなくて、親としてまいっか力を高める方が根が明るいまいっか力が高い子供を育てられて、彼らはきっといろんな意味で違いに許容力の高い大人になるに違いない…。

(…ということが正しいかは不安があるので、これからは海外で活躍されている方にもいろいろとお話を聞いて確認します。)

(ちなみに、まいっか力は決して鈍感力と同意語ではないのでお間違えなきよう。)

今年の移行からも、2013年の10ヶ月もいろいろ悩ましい一年であったことを分かっていただけると思う。ガンバレ、ワタシ。

2013年10月3日木曜日

午後3時のシンデレラ

今日は朝起きてから仕事を始めたので頭がカチカチだ。この硬い感じは実際に肩がが凝っているからなのだろうか。

午後3時にドアのベルがなる。

お。来た来た。マイ・シンデレラ。

何の話だと思うかもしれないが、本当に彼女は私のシンデレラなのだ。

より正確に言うと、Cinderella Domestic Placement Agencyという会社から派遣される、クリーナーさんだ。

まあ、お掃除の人を雇っているなんて、と思われるかもしれない。そう、私は掃除も下手だ。正直、クリーナーを雇うために仕事をしていると言っても言い過ぎではない。なんなら、一生働こうと思っているのも一生掃除から逃げたいという思いからだ。嘘だと思うなら、一度しばらく掃除から解放されてみてほしい。私の気持ちがわかってもらえるはずだ。

アメトークの掃除好き芸人を見ていると、「掃除が好きすぎて家が汚れないから他人の家で新商品の掃除グッズを試す」などというコメントがあった。そこまで徹底しているとシンデレラも出る幕がないが、私は潔癖ではないものの汚いのは嫌い、しかし自分でやると何かイマイチで、気になって時間ばなりかけてしまう。しかもなぜか片付けているはずなのにさらに散らかるという不思議な現象が起きてくる。

だから、週に1度、あるいは2度と家をリセットしてもらうことの価値は高い。大抵うちに来る人は私のいけてなさに気づき始めるのか、だんだん少しづつキッチンのものの置き位置を変えて多少動線を整理してくれたりとお節介をしてくれるようになる。掃除用品もあそこのブランドのこれを買ってくれと指示があるから楽だ。だらしなさを解消してくれる。

そういうわけで仕事を始めてからというもの、シンガポール時代を除いてほとんどずっとお掃除のお姉さんに来てもらっている。

ちなみにシンデレラサービスは、1時間12ポンドでミニマム2時間。これまでは知り合いの家に来ている人に頼んだりしていたが、ちゃんと派遣会社を通すことにした。そうすると少し高い。とはいっても時給にして2ポンド程度の違い。大騒ぎをする金額でもない。ただちゃんとそれぞれの部屋でしてほしいことのチェックリストがあり、毎週プリントして渡せばいいので私のように掃除においてまで指導をしていくほど心に余裕のない人間には非常にありがたい。しかも掃除に洗濯、アイロン、料理まで頼める。料理は現在修行中なので泣く泣く頼んでいないが、要するに時給制で結構家の事は何でもやってくれるのだ。

へロー。

と、家に入れてあげて、私はその日の指示を出してからそのまま外出する。家にいても仕事にならないし、だいたい午後3時ごろまでには「そろそろちょっと外の風を吸った方がいいんじゃないかい」という感じになっている。だから水曜日の午後のこの時間に食品以外の買い物をするようにしている。今日は家の整理整頓に役立つ箱などを多く販売しているThe Holding Companyでお茶用のとコーヒー用のお揃いの缶をゲット。




私が暮らしたい国ではどこででもこの手の家の仕事のお手伝いサービスは一般的で、共働きの家庭のでは普通にどこの家庭でも利用している。でも日本ではあまり一般的ではないらしい。日本には移民が少ないため、労働賃金が高いからというのがそもそもの理由としてあるが、その他に他人を家に入れたくないという心理的バリアがあるようで、あまりフラットシェアというのをしないのもそれが理由だと知人が言っていた。

でも最近つくづく思うのが、(正直大した仕事をしていなくても)働くって大変で疲れる。少しでも人に頼めることを取り入れていかなければ、体が持たない。ワークライフバランスは会社にも強く要求しながら、自分も少しでも楽をしていくことを考えるしかないのかな、と思う今日この頃。イギリスは5時半ダッシュで帰宅が普通にできる国でありがたい。

2013年10月2日水曜日

PukkaのAfter Dinnerハーブティー:残り4分のマジック

人生、雑に生きると損をする。

私の食べ物音痴(無関心)、料理下手は知人の間でも有名だが、結構下らないところでいろんなことに疎かったりする。

そんな私が、今日、初めて正しくハーブティーをいただいた。

というのも、お気に入りのPukkaのハーブティー(その名もベタに『After Dinner』)を食後に飲もうと思い、お湯を沸かしながら初めてぼんやりティーバッグの裏を読んでみた。






すると、

『インフューズ・フォー・アット・リースト・ファイブ・ミニッツ。』

え?5分もこれ入れたままなの?

ア、アット・リースト?

今6時20分だから6時25分まで待つのかい?

なんでそんなに早い時間に既にアフター・ディナーとなっていたかはスルーするとしても、早く飲んでホッと一息つきたいところでじっと待つこの5分はなかなか長い。

そろそろいいかな~。

え、まだ1分?

この時点でまだ1分だということを考えると、これまで50秒ぐらいしかティーバッグをお湯につけていなかったのかもしれない。限りなくお湯に近いお茶を飲んでいたということか。アフタヌーンティーの国、イギリスにてなんという失態。

『コーヒー派なんだよ、私は~。』と心の中で思いながらも、今日のハーブティーは確かにこれまでに増しておいしかった。私が体験していなかったこの残り4分マジック。ごちそうさまでした。

ファッション雑誌からの脱線:『Otherness』について考える。

今日、かなり久しぶりにファッション雑誌を購入。いつもは仕事上ビジネスマガジンや科学系の雑誌を読む事が多いので、広告を買っているような雑誌はいかがなものかと思う一方で、まあまあ時にはね、こうオシャレなものを見た方がいいんじゃない?ということで、分厚いのを3冊とりあえず購入。

そもそも今時誰が紙版の雑誌を購入するんだ…とは思いつつも、結構ヘビーな雑誌たちをドサッとソファーに投げ、PukkaのAfter Dinnerハーブティーを作り、お気に入りのBodumの保温マグカップに入れて飲む。

ペラ。ペラペラ。

まずはBazaarの2013年10月号から。今月号は『The Beauty Issue』とのこと。ビューティーからほど遠くなっている私にぴったりではなかろうか。ふむふむ。別冊子になっている『Bazaar Beauty Hot 100』。

Best 1は『Creme de la Mer』のThe Moisturizing Soft Cream。ザ・モイスチャライザーですな。

ちょっと気になったのは、RODINの『olio lusso』。最近顔がカサつくんです。これも加齢ってやつか。あとは雑誌に挟まっていた高級デパートLibertyの別冊の広告雑誌にあったMario Badescu Skin Careの『Drying Lotion』。もともと甘いものは苦手だったのが、最近時々チョコレートを食べるようになると、なんと年甲斐もなくニキビが出来るようになってしまい、ついでに仕事が忙しくなるとあごニキビ!『こいつらを寝ている間に本当にやっつけてくれるのであれば安い買い物なはず』と熱い眼差しを向けてしまう。

嬉しいことに、いくつか私も良しとするものがあったが、その中でも高得点だったのは『Aqua di Parma』の香水『Aqua Nobile』が取り上げられていたこと。3種類あるユニセックスのもので、香水好きの人にはどれもオススメ。街中で香りがすると思わず振り返るほど好きです。

などなど、まあそんな感じで写真が多いものをわざわざ価格まで確認しながら舐めるように読みすすめる。でも活字好きの私には、ファッション雑誌なんて大して読むところないよなー、なんて思いながらも本誌の記事もちゃんと読んでいると、ある記事にこんな表現があった。

『The power for otherness』。

Othernessとは要するにother/differentであるということ、という意味。

ファッションは流行を取り入れることこそ正しいような印象があるが、もともとはOthernessを求める、人と違う格好を取り入れる(シャネルのスタイル、プラダのバックパックなど)ことこそがファッションの原点なんだ、という内容の記事だったが、でもこの記事自体よりも、この『Otherness』という言葉が何だかとても心に残った。

当然英語としては意味が分かるが、ふと、そういえば日本語では何というんだろうと思い、調べてみた。でも『違っていること、異なっていること』ということしか出てこず、しっくりした名詞がない。

そこから少し話がずれて、じゃあ『Togetherness』(togetherであること)ってなんだろう?と思うと、『連帯感』『一体感』という日本語がある。じゃあ『Twosome(twoであること)』は?となると、『2人組』っていうちゃんとした日本語がある。

この『Otherness』という言葉だけがしっくりした日本語が出てこないのが、何となく日本であるような気もした。多分日本ではそれを『外』という漢字で表現していたのかな。『外部の人間が、、、』とか『外人』とか。『内』と『外』という対比で、『自』『他』とは違うレベルの比較。『自』も『他』と近しい立ち位置で『内』入りを目指す、それが日本的な発想か。

もう少し脱線して、『Belonging』も調べてみた。『belongしている』という意味の日本語が好きそうなこの言葉には『帰属』という固い訳が出てきた。

でも、そこには『安心できる関係で感じる幸福』というまさにビンゴ!な訳もちゃんと記されていた。『内』の中にも『Other』がある、そんな海外生活の中で時折感じる『belonging』を、『幸福』という名詞で汲み取ってくれたことに、なんだかホッとした。

はあ、これで安心して後の2冊もじっくり読める♬